憲法改正 議論の前に
現在の日本国憲法を「平和憲法」と呼び、改憲議論そのものが非平和主義であるかのように決め付ける人たちがいる。
なんでそんな話になるのかどうやら本人達がよくわかっていないのだろう。
憲法を「国家存続の基本的理念」とするなら、憲法9条のような「国家の基本的権利(国家としての人権)」を否定するような条文が入っていることは「あってはならないこと」になぜ気がつかないのだろうか?
その理由は、日本国憲法を「平和憲法」というレッテル付きの名前で呼ぶからです。
その人たちは「9条があるから日本は戦争をしない平和国家として存在できている」という根拠のない妄想で戦後日本が発展し国家を維持してきたと勘違いしているからです。
9条のような条文を憲法に持つことは国家としての機能を自己否定しており、「日本はまともな国家ではない」と言っているに等しい。
「平和憲法」とは「国家でないものが戦争を起こすことはできない」、ただそれだけの事実を現しているに過ぎない。
戦後、その「まともな国家」でもない日本が、これまで紛争に巻き込まれなかったのは、ただただ時代的にアメリカの支配下にあったことと、地理的に地続きの国境を持たないという、二つの「幸運」に恵まれていただけのことです。結果論です。
その恵まれた時代は中国・韓国の台頭で終焉を迎えました。
明治維新の時のような「国際感覚」を持たなければ国家の存続が危ぶまれる時代になったのです。
明治維新の時の日本は、西洋列強のアジア侵略の「最後の砦」でした。
そして西欧列強の中で唯一東アジアと陸続きであったロシアは、植民地として支配をしようとした他の西欧列強と違い、領土的野心を隠さず、東アジアの国家を滅ぼしロシアそのものに塗り替えようとしていました。
ただこの恐怖の時代でさえ日本は幸運に恵まれていました。
この当時の日本人は「国家の存亡」を賭けて国際感覚を磨き見事な外交を繰り広げました。
欧米列強間の対立が、日本に時間的余裕とイギリスとの同盟というチャンスをもたらしたのです。
東アジアの覇権をめぐる日露戦争は、世界の予想を覆し日本海海戦でロシア艦隊をほぼ全滅させた日本が、アメリカの仲介でロシアと講和します。賠償金は取れなかったものの日本の勝利は白人社会を震撼させアジア中東の有色人種を狂喜させました。
いま東アジアで、国力を蓄えつつある中国と韓国は、あろうことか「偽のアジアの歴史」を捏造し日本の国家そのものを歴史的に抹殺しようとしています。
それに対し日本は戦後の平和ボケが国民に蔓延し明治維新の時のような緊張感はかけらもありません。
これが「平和憲法擁護論者」の姿です。
西洋人がアジアを侵略した時代、彼らは有色人種を劣等人種と信じ、「蔑み」はしましたが「憎しみ」を持つ必要はなかったのが救いでした。
日本の不幸は、中国・韓国という外見的に似た人種の、「劣等感からくる歴史の捏造とそれに伴う憎しみと恨み」という、彼ら自身が解決しなければどうにもならない厄介な感情を相手にしなくてはならないということです。
彼らを癒してやる力は日本にはありません。いや誰も持っていないのです。
日本人は島国の単一民族国家ですから、中国や韓国のような侵略滅亡を繰り返してきた歴史を持つ民族の「他国への憎悪」というメンタリティーを理解できません。それだけ日本人は世界でも希な幸福な歴史を送ってきた民族ということでしょう。
その「幸福な日本」を守るためには国家としての権利を明確にした「憲法」が欠かせません。
憲法改正議論を堂々と進めましょう。