太陽が消えてしまった
一体「太陽の党」はなんだったのでしょうか?
出来たと思ったらあっという間に解散し「維新の会」と合流。
石原氏は「小異を捨てて大同につく」というが、その「大同とは何でしょう?
石原氏と橋下維新の会の共通点は「行政・統治機構改革」くらいしか思い浮かばないのですが、これが「大同」でしょうか?
日本の将来像を語るのに「行政・統治機構改革」がすべての政策の根源とはとても思えません。
石原氏は本当に「維新の会」が主張する「道州制」に賛成なのでしょうか。青写真が描けているのでしょうか?
「行政・統治機構改革」は常に「政治システムの改革」と一体であると思います。
三権分立の法治国家においては、どちらかといえば「立法府」を担う「政党政治システム」が主で「行政(内閣)」は従であり、行政の実務を担当する省庁・自治体はさらにその「行政(内閣)」の従の位置にあると思います。
つまり、今のままで充分「政治主導」を発揮できるシステムになっていると思うのです。
立法府を構成する「政党・政治家の質」の改革こそが今の日本に必要な改革であると思います。
「維新の会」はよく地方主権という言葉を使いますが、「主権は国民にあり」です。
その主権者である国民が付託し影響を行使できるのは、選挙を経て選ばれる「政治家」しかありません。
「大同」とは「この日本をどういう国家にして国民の生活を守るか」ということであり「平和を維持するため世界とどう向き合うか」か」という国家として根幹の政策部分にしかありえません。
太陽の党と維新の絵がその点できちんと同じ方向性を持っているのかどうか疑問です。
前日に「減税日本」と連携すると言っていた石原氏は、橋下氏と組むために「減税日本」と手を切ることを承諾しました。
小沢氏の「国民の生活が第一」とはもともと「組む気は全くない」と公言しています。
今回の件で「みんなの党」も「維新の会」との合流はさけて連携のみに止めたい考えに落ち着いたようです。
つまり石原氏にとって「小異を捨て大同につく」という言葉は「維新の会」と連携するための方便でしかなかったということでしょう。
政治ですから何が起ころうと驚くには当たりませんが、今回の騒動を見て石原氏の行動に違和感を持つ国民は多いのではないでしょうか。
石原氏も橋下氏も双方が今回の選挙に自信を持てなかった事からくる「焦り」ではないでしょうか。
これは「野合」にしか見えません。「太陽の党」にとっても「維新の会」にとってもマイナスで、衆院選挙後に混乱を招くような気がします。
こうなると政局の鍵を握るのは「民主党」になります。民主党が党内異分子を排除できれば、自公との3党合意のもとに連立政権を作ることも可能です。
それ以上に、民主党の得票数によっては選挙後に党を割って、公明党抜きの民主・自民の連立政権も可能になるとおもいます。
私は第3極政治より民・自連立政権に期待します。