橋下大阪市長と小沢・石原・東国原
by KEI
橋下大阪市長が国政参加に意欲を見せています。
下手をすれば共倒れの恐れのあった大阪W選挙に圧勝し、いまやまさに”飛ぶ鳥を落とす勢い”。共産党を除くすべての政党が彼の率いる「大阪維新の会」との連携を狙ってその一挙手一投足に注目しています。
しかし彼が本当に他の政党と共闘するのでしょうか?”大阪維新の会”はその辺の政党と同じなのでしょうか?
元宮崎県知事、東国原宮崎県知事を思い出します。都知事選に出て善戦はしたものの、約束を反故にして出馬した石原都知事に敗れ、政治家としては今後、どこかの県の広告塔役の知事しか狙えない微妙な立場に追い込まれてしまいました。
今の橋下市長と同様、絶大な人気を誇った09年、自民党から出馬を打診され「自民党は私を総裁候補として考えられますか」といったと伝えられています。
”もし”はないのだが、彼が自民党総裁になっていれば面白かったと思う。自民党も今のような「何でも反対、解散総選挙で国民の信を問え」と繰り返す芸のない状態には陥らなかったでしょう。
橋下氏と東国原氏を比べると、東国原氏は政治組織(党派)を作らない、いわば既存組織の上に乗っかる「融和・協調派」だが政党に属さない、一方の橋下氏は必要とあらば新たな組織(政治団体)を作ってでも力で改革しようとする「対立・武闘派」
橋下氏が”独裁者”と呼ばれるのは「数の論理・力」に徹するから。
これは政治の常道をであり”独裁者呼ばわりをするのはする方が間違っている。政治は力である。力がなければ何も出来ない。ある意味では橋下氏は小沢氏に似ているのかも知れません。
一見随分違うように見えますが、実は彼らは既存の政党政治の対極にいるという意味で似ているのではないかと思うのです。
橋下氏の考え方からすれば当然「改革には力が必要」、その力とは国民の意志そのものです。
今までのように ≪国民=政党=政治家≫ という政治家と国民の間に政党という利権を生み出す組織を必要としていないように見えるのです。国民みんなが”政党”にNOを突きつけているのではないでしょうか。世論はその姿をはっきりと示しています。国民の政党支持率は、自民も民主も20%前後をウロウロして一行に支持率は上がりません。
国民は政党の党利党略で動く政治家に愛想をつかしたのでしょう。
これからの政治家は、橋下大阪市長、石原東京都知事、東国原前宮崎県知事といった、政党色のない、つまり利権に関わっていない(ように見える)人物しか世論の支持を得られない。政党に属しているだけで敬遠される”脱政党政治”の時代になったのだと思います。
政治を支えるのは政党ではなく、国民一人ひとりになるのです。選挙制度も国会のあり方も政党・政治家に対する助成もすべて根本から見直さなければなりません。NET社会だからこそ出来る「素晴らしい資質を持った政治家を国民一人ひとりが選ぶ」新しい”直接民主制”になるのだと思います。
”大阪維新の会”が従来のような政党に堕した時点で橋下氏の力は急激に衰えるような気がします。
ですから橋下大阪市長が既存政党と手を組むことはないと思うのですが・・・・・さて。
(現在、雌伏している東国原知事ですが、是非早い内に活躍できる場所を得て欲しいと思います。)