坂の上の雲 完
by KEI
明治日本の青春群像を描いた司馬遼太郎の「坂の上の雲」終わっちゃいました。日本という国家そのものも”青春時代”にあったかのような明治という時代は現代のような物質的豊かさはなくとも、若者たちが無条件で”青雲の志”を持つ事ができた「幸福な時代」でした。
当時と比べ今の日本は、物質的には比較にならないくらいに豊かですが、決して幸せとは言えないような気がします。あの当時の日本人が持っていた”日本人”としてのアイデンティティーは失われ、自分がいったい何者であるのか見いだせない、いやそれ以上に見せかけの豊かさの中で、疑問さえ抱かず、自分自身の不幸にさえ気付かずに無意味に人生を浪費している日本人達。
「坂の上の雲」は日露戦争が舞台である。戦争の時代ではあるが日本人として幸福であった奇跡のような時代を描いて美しい。
大国・露西亜を相手に戦い勝利したことは「奇跡であった」。しかしその奇跡は、その当時日本を訪れた外国人が驚嘆した、日本文化の賜物である。庶民までも教育水準が高く、人々は勤勉で公徳心にあつく、鍵をかけずとも荷物は盗まれす、子供たちは笑顔があふれている。日本人にとって当たり前の社会が、当時文明先進国であったはずの欧米人はこれをまた奇跡のように見つめたのだ。
されば、日露戦争の勝利は「奇跡のような国日本が起こした必然」であったのかもしれない。
「貴族に生まれるならイギリスに生まれたい。しかし庶民として生まれるなら日本人に生まれたい」また「世界の国の中で将来にどの国を残したかと問われれば”日本”である」といわしめたほど、彼らの目から見ても理想郷のような社会だった。
近代文明先進国の欧米列強が、有色人種を”下等人種”と見下し植民地化を当然視していたあの時代、日本だけがこれまた奇跡としか言いようがない”支配階級の武士による自主革命:明治維新”を経て近代化に邁進し、中国・朝鮮を侵略せんとしていた露西亜に勝利したことは世界中の有色人種に喚起をもって受け入れられた(ただし当の露西亜に席巻されつつあった中国と朝鮮飲みが例外である)。
実に紙一重の勝利であり、完全な勝利などというものとは程遠い状態ではあったが、日本は露西亜にかろうじて勝利した。
もしあの時日本が負けていれば、中国は露西亜を中心とする列強により分割され、ソビエト連邦に併合され、それから脱することができたとしても、今頃は小国乱立状態であったろう。
朝鮮は露西亜の領土となり、日本も国家として存続できたかどうか。歴史に”if”はないのだが、想像するだに鳥肌が立つような瀬戸際の戦いに、日本人は国家の命運をかけて戦い運よく勝利を得た。
そして日本の勝利は、西洋列強に並び立つアジア列強国家を世界に知らしめ、初めて白人たちの人種的偏見の目を覚ませた。
彼我の圧倒的武力の差に、諦めと自棄に陥っていたアジアや中東の国民に勇気と自信を与えた。
そのような時代を切り開いた日本は今でも世界中から愛されている。(中国と朝鮮を例外として)
日本人よ今一度あのころの心を取り戻しましょう。
歴史認識を学ばなければならないのは確かに日本人であると心からそう思います。