赤ちゃんの笑顔と平和憲法

by マミコミ(昨年の投稿ですが)

オバマ大統領の核兵器削減活動に反対するものではないが、我々の求めるのは核兵器廃絶である。
勘違いしてはいけない。ロシアとの各兵器削減交渉は、余りにも大量に作り維持してきた核兵器の管理にかかる膨大な費用を削減する為の政策であり、決して核兵器を廃絶しようとしているのではない。
戦争も当然断固反対である。弱者を救済することも基本的人権を尊重することも当然である。地球環境の壊滅的破壊も阻止しなければならない。もし地球温暖化が真実であり、その原因が温暖化ガスにあるのなら排出量の削減に取り組まなくてはならない。
当然のことながら、国家は「国民の命と生活を守らなければならない」「税金の無駄使いは止めなければならない」。日本は「世界平和に貢献しなければならない」「貧困の救済に立ち上がらなければならない」。 殆どの人と同じくこれが私の基本的な考えである。

しかしながら私は”憲法9条の改正”に賛成である。”日本の核兵器の保有”について議論しなければならないと思う。”子供手当”や”外国人への参政権付与”には反対である。日本だけ”とびぬけた温暖化ガス削減目標を表明する”ことも愚かなことであると感じている。

 

きっと「なにを矛盾したことを言っているのだ」と思う人がいるだろう。私はそれらの人が例外であってほしいと切に願う。残念ながらわが国の現在の政権は”例外”の人達で運営されている。

 

赤ちゃんは可愛い。無条件に可愛い。人間以外の動物でも例外なく可愛い。その笑顔は恐らく「一人で生きてゆけない弱者への神からの贈り物」でしょう。同種であれば、精神に異常をきたしている場合を除いて赤ちゃんに対しては愛情を抱きこそすれ危害を加えるようなことは決してない。親は時として自らの命を削ってまでその幼い命を守ろうとする。生命をつなぐ者たちの宿命としか言いようがない。

 

しかし人間を含めた動物の間では、時として”他種の赤ちゃんは力の無い恰好の餌”とみなされる。これもまた同じように”宿命”としか言いようがない。この世界は非情で残酷な側面を持つ世界でもある。

 

私はふと「日本はまるで世界の中で”赤ちゃん”になろうとしているのではないか」と危惧する。
「自分たちの主張が無条件に敬意を持って受け入れられる”赤ちゃんのような存在”になりたい」と夢想している人が随分と多いように感じている。
それはまるで、今まさに牙を剥き、よだれをたらす肉食動物の前で”笑顔の力”を信じ、無邪気にふるまっている人間の赤ちゃんの姿を思い浮かべてしまう。奇跡は起こるはずもない。

 

なぜなのかと問うのだが、仮に日本を一個の人間と捉えるなら、
「徹底した自己批判を強いられ自らの存在を否定せざるを得ない人間が、自らの心を二つに引き裂き、片方の自分を”悪”と批判することで片方に”善”の自分を作り上げた結果である」としか思えない。
この分裂状態は一個の人間としては「かろうじてバランスだけは取っているが、常に自らを責め”善人”を演じ続けなければたちまちバランスが崩れてしまう」異常な存在なのではないか。
その異常なあり方が「まるで赤ちゃんになりたがっているように見える」所以ではないのでしょうか。

 

“善人を演じ観念的理想論にしがみつく”ことは片方で”サディスティックに自らを貶める”ことでもある。だから心ある外国人から「日本人は素晴らしい文化と実績を持ちながら考えられない程自虐的である」とよく言われるのだが、日本人は”まるで赤ちゃんのように”本来の自分の姿に気がつかない。

 

“平和憲法9条”は”赤ちゃんの笑顔”である。同種同族の国のみで通じる理想論である。残念ながら日本を取り巻く環太平洋の国家群(米・中・露・韓・朝)は違う。いや世界中で日本だけが異質であるのかもしれない(かろうじてヨーロッパは日本に近いかもしれない)。そうだとしても「座して他国の”餌”となる」愚かなことをしてはならない。

 

日本はまず、様々な”いわれなき非難”を払拭することに全力を上げセルフアイデンティティーを取り戻し、明治日本のように一人立つ気概を持たなければならないのだと思います。

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