「裁判員裁判は、それまでの法律のプロの判決よりも重い量刑が課される傾向がある」
ということで、とうとう最高裁が「裁判員裁判の量刑が不当に重い」と減刑してしまいました。
まあ当然といえば当然予想されたこと。
だが、もともとこの制度は、「裁判員裁判でだされる判決(量刑)を民意として取り上げる」のが目的だったはず。
となると、今回の最高裁の判決は、この制度を否定するものと言えます。
ここでもう一度、この制度が本当に必要なものかどうか考えるべきです。
『原発廃止』『戦争をできる集団的自衛権反対』『他国を侵略する米軍基地反対』
世の中には、人権を守るために行動し発言し、自分たちの主張に賛成しない人に「人非人」とレッテルを貼り、非難するのが大好きな人がたくさんいます。
その人たちが裁判に加わるとどうなるか?今の裁判員裁判のようになることは自明のこと。
「悪(自分がそう決め付けている)を糾弾するのは素晴らしい正義の行為である」と露ほども疑わない人は恐ろしい。
彼らには、人間の命が絶対的価値なのだ。そして実は共産主義者もそうなのだ。
その『命を大事にする』はずの『共産主義国家』の指導者(スターリン・毛沢東・ポルポト)は、
人類史上類を見ない『大量虐殺』を繰り返したことはご存知だろう。
『命を守る』と、高らかに歌い上げる『市民団体』が主導権を取れば、世の中は罪人(と見なされる人)たちで溢れかえることだろう。
共産主義国家での『国民大虐殺』は、その延長で起こったのだ。
名前の報道されない『市民団体』は、『欲深い人間達が生み出した曖昧な人権』を追い求める、妖怪・亡者のごとき集団である。