by KEI
ここ温暖な愛媛でも、凍てつくような寒空に白しらと月が浮かんでいます。東北では多くの人が家を失い、火の気のない避難所暮らしを余儀なくされている今日、時ならぬ真冬に逆戻りしたかのような寒波。天のしうちに恨みの声を一つくらい上げても誰も異を唱えないでしょう。
先日、石原東京都知事が今回の震災に”天罰”と言う言葉を使い「本意ではない」と謝罪していました。
ですが誤解を恐れずに言わせてもらえれば、都知事の気持ちは良く判るのです。決して被災者の皆さんに”天罰が下った”などと言うつもりはなかったのだと思います。
今の日本の現状、政治・経済・マスコミ・世論そういったものすべてがおかしな方向に向かっている日本に対する憤りが、文学者でもある都知事のあのような表現になったのだと思っています。
日本全体に対する大いなるものの戒めを感じあのような表現になった。
「日本に対する天の怒りを感じる」そう言いたかったのではないでしょうか。
しかし本当にそうであるなら、天の配剤がそのように働くものならば、現場で実際に救助活動に当たっている方々の努力は当然ですが、微力とはいえ私達一人ひとりの真摯な願いや祈りも天に届くということにもなります。
今回のような人知を超える天災のまえに無力感にさいなまれていましたが、「私にも祈ることなら出来る」そう思うようになりました。
だから祈ります。
「一人でも多くの人が生きてご家族と会えますように」
「必要な物資が速やかに避難民の皆さんに届きますように」
「少しでも天候が良くなり暖かくなりますように」
「もうこれ以上余震が起こりませんように」
「原子力発電所の事故が無事に収束しますように」
「救助隊の皆さんが二次被害に会いませんように」
そして
「この祈りが必ず天に通じますように」