「私の理解できないことが多い」ついでに「一票の格差」という問題。
今回の衆議院選挙は「一票の格差が違憲状態である」として選挙無効の訴訟が起きていますが、問題の所在がよくわからないのです。
最高裁は概ね、衆議院で3倍、参議院で5倍までの格差を違憲・合憲の分岐点のように扱ってきたように見えますが、問題はこの数字にあるのでしょうか?
それとも、「差がある」こと自体が問題なのでしょうか?
3倍、5倍という数字を問題とするなら「『格差は認める』が程度の問題である」ということになりますので「数字を法律で決定する作業を行えばいい」ということになります。
その作業を怠っているのはなぜでしょうか?よくわかりません。
『一定の格差は認める』のが前提ですから、選挙のたびに「違憲である」と訴訟を起こす必要はなく、選挙の結果を見て「次回の選挙で是正をする」という手順でことは片付くはずです。
「差があることを認めない」という意見は実は随分乱暴な意見で、解決方法は「選挙区」を無くし「全国区」のみにするしか方法はありません。
「全国区」だけの選挙で当選するのは、有名人・タレント、利権政治家、特定のイデオロギーや宗教組織をバックにもつ政治家、名前の通った大物政治家ばかりになり田舎の政治家はほとんど落選するでしょう。
「差があることを認めない」場合のもう一つの方法はほぼ同じ結果になりますが「政党だけを選ぶ比例代表制」のみの選挙です。
しかし選挙は「人」・政治家を選ぶのですから「誰が当選するか政党が決める」こんな選挙は選挙と呼べるのでしょうか?
「差は認めない」派の人たちだと思いますが『一人一票実現国民会議』という団体があります。《設立趣意書》
随分不思議な文章です。【過半数の有権者は「一人前以下の国民」と扱われています。大変な不正義です。(趣意書文中)】
まるで「いかなる格差・差別も社会悪である」という偏執的「平等主義信奉者のようです。
「格差・差別」は「不公平・不正・不当な格差・差別」が問題であり、もともと「格差・差別」は「状況や個性として存在する区別である」と私は考えています。
それを考慮せず「平等に」というのは「学校教育で順位をつけてはならない」という日教組の考えと同じで気味が悪い。
この会議の発起人・賛同者に敬愛する櫻井よしこさんの名前があるのに驚いています。
(ですからもう少し研究してみようと思っていますが現状ではこのように考えています。)
現状の選挙では一人一票ではなく「格差が2倍あれば0.5票しかない」
まあ『一票の格差を認めない』と主張するならこのような言葉遊びも生まれてくるでしょう。
それより重要なのは『一人一票』持っている権利を行使しない有権者が多いことを問題視するべきだと思います。
これだけ高齢者が増えると体の問題で投票に行けない人もいます。よくわからない政策の違いで選挙に興味を失っている若者のもいます。
選挙活動でNET利用が議論になっていますが、危うい面があるもののNETを利用すれば高齢者や若者を選挙に参加させることは可能になりそうです。
選挙制度改革の一環として『NET選挙』を研究して欲しいものです。