高校野球残酷物語

≪BY 老師≫

高校野球には根強いファンがいる。
それも当然、高校野球はプロ野球にはないドラマがいくつもある。

一握りの才能ある選手が繰り広げるプロ野球は技術やスピード・迫力は高校野球をはるかに凌ぐが、プロとして成り立つたたせるために、優勝ペナント獲得にリーグ戦で年間130試合も戦う。
最近はその上にこれも興行収益の為なのだろうけど「クライマックスシリーズ」などといって「敗者復活戦」まで行う。こうなるとペナントレースは一体何のためか判らない。

その点高校野球は勝者のみが勝ち残るトーナメント。一度でも負ければそこまで。プロの「クライマックスシリーズ」のような敗者復活などない。実に潔い。潔いが残酷でもある。

少し気まじめな友人が「何で野球は強いチームが勝てんのや?スポーツじゃないやろ!」と不思議がっていたのを思い出す。
野球という競技は、他のスポーツと比較して、技術の優劣もあるが「運不運」が勝敗に大きく影響するのだ。天候やグラウンドの状態から審判の判定まで勝敗を左右する。
そしてそこがまた面白いのである。ドラマが生まれるゆえんである。

130試合も行うプロなら「今日はついてなかった。次は頑張る」で通るかもしれないが、高校野球はそうはいかない。
一つのエラーがチーム全員の一年間の努力を無にすることもある。エラーした選手はつらい。
特にまだ思春期真っ盛りの少年たちには、耐えがたく、泣きだしたい思いだろう。

そのせいかどうか、最近のテレビやラジオの放送では、試合を決定づけるエラーがあった場合ことさらそのことに触れないようである。
おそらくエラーをした選手絵の思いやりのつもりだろうが、しかしその思いやりは本当に必要なのだろうか。

失策をしたことをあげつらえという意味ではない。だが、その腫れ物に触るような扱いは「失策をした選手をさらにつらい針のむしろに座らせることになるのではないのか」と心配する。過度な気遣いは本人に罪の意識をより多く沈殿させるのではないかと思うのだ。

「お前のエラーで負けた。だが、たまたまお前に起こっただけ。気にするな」
おそらくチーム内ではそのように仲間が励ましていることだろうと想像するのだが、放送する側も過度な奥歯にものの挟まったような言葉づかいは辞めた方がいいと感じている。

まるで「臭いものにふたをする」かのような放送者達は気持ちが悪い。
昨今の「いじめ」も実はこのような「過度な気遣い」「見て見ぬふり」と大いに関係があるような気がしてしまうんです。

 

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