セーフティーネット不要論

by 老師

もうなにがなにやらわからん世の中になってしまった。

その昔老人が庭先で作業をしていると、一羽の鶏が目に止まった。その鶏は喉を反らせ口ばし震わせ羽を羽ばたき、時の声を上げているような格好をしているのだが、不思議なことに一向に鳴き声が出ないのである。 老人は嘆いた。

「最近は鶏まで真面目に仕事をしない。情けない世の中になったもんだ」

この話は、実は耳が遠くなっている事に気づかぬ老人を揶揄したもの。

さてわが身を振り返って、このようなことにならぬよう気をつけたいものですが、とにかく今この閉塞感たるやすごいものがあります。
私らのような老い先短い年寄りさえひしひしと感じるのですから、まだ長い道のりを残す若者にとって閉塞感は大変なものでしょう。といっても他に比較する経験のない本人達には無自覚かもしれない。しかし彼らの人生観や行動に大きく影響しているはずです。

この閉塞感の源は、政治・行政・経済・国際社会のシステムが機能不全に落ちいっていて未来に希望が見えないからです。
じゃシステムを変えればよいのでしょうか?確かにそれも必要でしょうが、一番の問題は、今導入され修正されているシステムが「基本的に人間とその社会を脆弱にする方向にしかベクトルが向いていない」ということです。もっと簡単に言うと「やさしすぎる」のです。

個人情報保護、社会保障、医療保険、介護保険、生活保護などなど。
「国民の生活を守り弱者を救済する」美しい掛け声です。神を否定し宗教を排除した社会主義・共産主義は当然人間が最も尊い存在になります。「人の命は地球より重い」などと言う標語を平気で作りだします。

その尊い人間が平等に幸福になれるようなシステムを懸命に作ります。犯罪者ですら懸命に守ろうとします。人間を癒してくれるペットにも「人生をともにしてきたパートナー」と限りない愛情を注ぎます。仕事がいやになったら「仕事とのミスマッチで君がわるいんじゃない」何処までもやさしさでくるんでくれます。

仕事がなくて生活保護を受ければ「医療費も介護費用もすべて只」子供が出来れば手当も増える。下手に働くよりズーと楽な生活保護がもらえるとなると誰が汗水たらして働くものか。かといって審査を厳しくすると人権は弁護士が乗り込んできてつるし上げられる可能性があります。

セーフティーネットが整備されればされるほど、人間は更なるセーフティーネットを必要とするようになるのです。

「子供を甘やかせて駄目にする」ことは皆やってはいけないと思ってるくせに、社会全体をを甘やかせて自己中で身勝手なに人間だらけの社会にするシステムは歓迎されているのです。

と言う事はシステムの問題ではなく、それを許す人間の質の問題だということになります。そのような人間を創りあげた戦後社会主義的人間観です。

今の公的機関がセーフティーネットを構築するという考えを捨てなくてはなりません。全く新しい人生観・人間観による世界のシステム再構築しかないのでしょう。
それは「宗団を作らない宗教」による変革という形を取るのではないかと思います。

 

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