市民感覚に沿う司法判断って・・

by 還暦爺

司法制度改革とは「市民感覚にそう司法判断ができるようにする」ことらしい。

確か戦後教育を受けてきた裁判官のおかげで、「随分と左寄りの判断」が多く「またかいな」という思いが多かったのですが、「市民感覚にそう司法」となると「さらに左寄り」になります。目の前が暗kなりそうです。

「公判を通じ組織の責任者・幹部の生の声を引き出し、事故当時の状況や真相を少しでも明らかにし、再発防止に役立ててもらいたい」これ地元紙の社説ですが、一見ごもっともと思わせます。
ですがこの社説は、JR福知山線脱線事故でJR西日本前社長にだされた無罪判決についての社説。となるとこの社説は「その無罪判決に対する批判」ですね。

事実その社説の後には「これでは犠牲者や家族は浮かばれない(正確ではありません)」というようなコメントが続きます。

不思議なことです。そんなに不当な判決なのでしょうか。
「運転手のスピードの出し過ぎが原因」という結論は出ているのに、「それでは被害者が納得しない」と考えるのが「市民感覚に沿う司法判断」だとしたら、実におぞましい裁判が行われそうです。

事故の予見性等を含め司法の判断した結果は尊重されるべきでしょう。必要なら上告酵素という手段もあります。
「被害者・遺族への経済的補償」は当然問題にされるべきですが「被害者・遺族の心の傷の補償」は持ち出すべきではありません。持ち出しても恣意的に利用するものではありません。法律で計算できないものに対して火っかん的な判断はできません。「市民の感覚」などという曖昧なものは裁判に持ち込むべきではないと思います。

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