「自分探しの旅」という言葉のウソ臭さ

By 老師

今の若い人たちはよく「自分探しの旅」なんてことを良くいうが、意味が判らん!

「自分探し」という言葉には
「今の自分は本当の自分じゃない、どこかに今の自分ではない本当の自分があるはずだ」ということじゃろうと思うのだが、それと「旅」がくっつくのは、「どこかに本当の自分を見つけられる場所がある」ということなんじゃろうな。
結論から申し上げよう。そんな場所なんぞありゃしない。

仮に百歩譲って「旅」というのは「本当の自分を見つける過程」を詩的に表現したものだとしても、どこにも本当の自分なんぞ落ちているはずがない。誰かと出会って「本当の自分を見つける」そんなこともあるはずがない。

せいぜい、自分がやってみたいと思える面白い”仕事や趣味・活動を見つけた」という程度。
それを「本当の自分を探しだした」というのは大袈裟すぎやしないか?

人間はみなこの世では”生から死へ向けての旅人”である。その中で、昔から若者は「この「人生」という旅にはどんな意味があるのか、この「旅」の間に自分は何をするべきか」を探し求めるもんじゃ。
それを「自分探しの旅」と言っていたのじゃ。
今のように「何か楽しいことがないかな?」なんて生き方を「自分探しとは言わん。

書物を読み、友と語り、師を求めて訪ね歩き、座禅を組み、自分を見つめながら答えを求めて全力で沈思黙考する。それを繰り返しながら、「自分に自分は何をなすべきか」「自分の生涯はかくあるべし」といわば「自分を作り上げること」を自分探しの旅と呼んだのじゃ。

今のように「何か楽しいことはないかな」風な「自分探し」はもう止めようじゃないか。
本当の自分は「今ここ」にいるのだ。その自分が「如何に生きるか」を真剣考え選択するのが「自分探しの旅」じゃろう。

ゲーム、ダンス、一部の音楽、テレビ、自分の方から求めるのではなく、こんな外から与えられる、他人と比較できぬ感覚的な「私はこう思う」でお茶を濁す、安易な時間つぶしの旅はもう止めようじゃないか。

”自分”は「今ここにいる」。
”探す”のは外でもない「自分の胸のうち」だ。
”旅”とはことさら言うまでもなく人生を生きることそのものじゃ。

自分探しの旅とは、「いかなる自分の人生を選択するか」言うことに尽きるのじゃ。

 

コメント

コメント(2)

  1. 旅好き女(旅を話して読まないで)

    旅では自分は探せませんが、私はちょびりとだけ見識・見解・考え方や価値観が変わったり自分が賢くなったように思えることがあります。

    「自分の馬鹿さ加減を探してしまう旅」も面白いです。

    旅行中に自分を探してしまったりすることがあれば、とても怖くて旅行には行けないでしょうネ。

    返信
  2. ぐうたら主婦

    動物行動学の世界でもある動物が、生きるためや自分の遺伝子を残すため以外の「遊び」としか言いようのない行動も多いのだそうです。

    近代の旅は人間の「遊び」そのもので、昔の旅は学問や修行だったのでしょうが「私の人生は旅なのか?いいえ、私の旅は遊びそのもの」

    自分探しや修行の旅なんかには絶対に行きたくないです。

    返信

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