by ハッチョ
難民生活
アンカレッジ経由ニューヨーク行きの大韓航空機の乗客全員、難民となってしまった。アメリカ本土の着陸許可が出ない限り身動きが取れない。
パスポート以外何も持っていない。せいぜい身に着けて持って降りたのは財布と携帯電話ぐらい。
当時カメラ付の携帯は少なかったせいで、ホワイトホースの写真は殆どない。
カナダ政府は、難民となった乗客に出来る限りのことをしてくれた。
すぐホテルを用意してくれ、着のみ着のままの我々に山ほどの防寒具を用意してくれた。
その服はキリスト教系のボランティア団体が用意してくれたらしい。この辺の動きは実に素早い。西欧の伝統的な奉仕精神で常に非常時に対応できる体制が出来ているようだ。贅沢さえしなければ充分な食費も貰っている。
今思い返してみると誰にもお礼を言わなかったなあ。いや現地在住の日本人女性にだけには言った覚えがある。
「カナダの皆様、ホワイトホースの皆様、その節には大変お世話になりました。ありがとうございました」
とりあえず、いつ出発できるのかわからない不安はあるが、これといった不自由はない。テロのニュースを聞いたり、近所を観光したりして過ごしたが、本当にこれといった記憶がないのは、異常な状況に脳が”Sparked”していたのだろう。ホテルで東南アジアの人に見えたが、オートロックに気が付かなかったのかパンツ一丁で部屋から閉め出され懸命にドアを開けようとしていた。誰かがフロントに連絡したが、我々はまだいい。
難民ではあるが昔馴染みの仲間と一緒で心強い。
ところでこの旅行にはもう1人アメリカ国内から参加予定の「カズちゃん」という女性がいた。
彼女はアンカレッジに先着していて我々を待っていたのだが、空港で待つ彼女の目の前で我々の乗る飛行機はそのまま飛び去って見えなくなり、とてもがっかりしたそうだ。
後で彼女から聞いたのだが、我々の飛行機にはピッタリと戦闘機が張り付いていたそうである。
この時も「へぇー」と何気なく聞き過ごしたのだが、何かがおかしい。
空港が閉鎖になりカナダに向かうだけのになぜ戦闘機がはりつくの?
結局カズちゃんはアンカレッジで独りぽっちで取り残されてしまった。
「独りで何していたの?」
「うん、観光やショッピング。結構楽しかったよ。」
日本人(に限らず)女性はたくましい。
ホワイトホース3日目でやっと待望の離陸許可が出た。万歳。
だがここで又一騒動。
ジャンボジェットに乗り込み出発するのをいまかいまかと待っていると、突然アナウンスで、
「当機はこれからニューヨークへ向けて出発する」
「ヒエー」我々と同じアラスカ組は皆悲鳴を上げる。
ニーノに聞くと「航空会社としては最終目的地に着くことが目的だから」というが、
「じゃあ俺たちはどうなる」
わざわざニューヨークに行って、そこから再度アンカレッジに帰るのか。ホワイトホースからアンカレッジはすぐそこだけどニューヨークは米大陸の反対側の端だよ。恐ろしいテロ攻撃の中心地だよ。
しかしなかなか飛行機は動かない、その間一時間余り、「アンカレッジに行くよう頼もう。だめなら降りよう」とすったもんだしていると、突然「当機はアンカレッジに向けて出発します」と再度アナウンス。
結局ニューヨークは未だ着陸許可が出ていなかったようである。
やがて飛行機は離陸体制に入った。しかしまだ不安はある。
この地方空港でジャンボが離陸したことはないらしいのだ。
エンジンに火が入る。ゆっくりと機体が移動してゆく。空港の端に来たのだろう、徐々に機体の向きが変わって行き、それが止まったかと思うと急激にエンジン音が高くなる。
どんどん加速してゆく機体の中で全員が緊張に身を固くする。やがて、いつもより短い時間で機種が持ち上がったような気がする中、加速しつつ機体は無事滑走路を離れた。
期せずして機内に拍手が巻き起こった。機長に対してか?
(後日判明するのだがこの機長はとんでもない失敗をしていたのだ)
かくて、我々「ひなんクラブ」は、本来の目的地であるアラスカ・アンカレッジに向かって再度飛び立った。
5泊6日の旅程の3泊4日を難民として過ごした。後残すは2泊2日のみである。