by ハッチョ
ホワイトホース
かくして、我々はパスポートのみ所持し、着のみ着のままカナダのだだっ広い田舎町、ホワイトホースの公会堂に集められた。そこで初めてテロ事件を知ったのである。
ここで我がグループについて少し説明しておこう。
愛媛県のある高校で、皆が「クマさん」と呼んで慕う野本先生が登山部の顧問をしていた、昭和36年から昭和43年の間に所属していた先輩・後輩の集まりで、「ひなんクラブ」と称している。
校長まで勤め、無事退職されたのだが、それを期に昔の悪童達に狩り出された「クマさん」と「ひなんクラブ」の名前の由来についてはまた後日。
大きな会場の演壇に立ったカナダ人が、国籍別に集合せよと呼びかけている。
集合してみると、国籍別のグループごとにホワイトホース在住の同国人がいるらしい。他のアジア人のグループに、それぞれ同国人らしい人が待ち構えていて何やら説明している。
我々の前にも日本人女性が現れた。結婚してホワイトホースに住んでいるという。
(日本人女性は偉い。故国を遠く離れても立派に生きている。ひなんクラブの中にもアメリカ在住の女性が二人もいるのにはビックリした。)
とても人柄のよい聡明な女性である。彼女が我々にこれからのことを説明してくれる。
ホテルは出発出来るまでカナダ政府が用意してくれる。
食費は1日26ドル賄ってくれる。
服が無い人はボランティア団体がかき集めてくれた古着を自由に持って行ってよろしい。
まことに手際が良いことこの上ない。日本ならおそらくこうは効率よく事は進まない。
新幹線は時間通りに走らせることができても、こういう不測の事態になると日本は中々スムーズに事が運ばないだろう。
まずお役人様が出てきて事態の説明をする。そして一人一人どこの国から来たか調べる。「どこに行くのか何しに来たのか」と、どうでもいい事を繰り返ししゃべらされる。身体検査もするだろう。旅客の母国政府とアメリカ政府にその処遇を問い合わせる。そんなこんなで最低一晩は集められた公会堂で雑魚寝を強いられる。
カナダ政府では、「要するに彼らは”行くところも帰る所もない” ”難民”である」と賢明にも即決したのだろう。
何より先に我々に「衣食住」を手配してくれたようだ。
2時間後に我々は、そう大きくも立派でもないが落ち着いたこぎれいなホテルでくつろいでいた。