坂の上の雲は遥かに

by KOU

本棚にあった、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」が目に留まり、何気なく読み返し始めた。ぱらぱらと眺めるくらいのつもりだったが、読み始めると司馬遼独特の語り口に人物たちが生き生きと動き始め、全八見巻読み終えてしまった。やっぱり面白い。学生時代「竜馬が行く」を読み始めると、面白くて学校にも行かず3日三晩読み続けて読了した事を思い出す。

正岡子規と秋山好古・真之兄弟が、偶然にも愛媛県松山出身であることが執筆の契機になったという。司馬作品は常に魅力的な人間群像をその時代を背景に描き出すのだが、その本質は長い歴史に培われた日本独特の豊かな精神性そのものへの大いなる賛歌にある。

幕末から明治にかけて、日本が自らの存亡をかけて西洋と言う異質の文明と対峙した時代は、その”武士道に代表される、日本独特の豊かな精神性”が際立って輝いた時代だった。

猿真似と言われようが議会政治を取り入れ、軍備を近代化し西洋に対峙できるアジア唯一の近代国家を創りあげた。それは日本が国家として存続する為に選択した道であり、当然の如く西洋列強に伍して帝国主義的な国家運営手法も導入された。

日清戦争は、西欧列強になすすべもなく侵略されながらその一方旧態依然とアジアの盟主を自負する清国が、欧化する日本を仮想欧米列強として朝鮮の支配権を争った戦争である。
戦勝国日本は当時の常識として遼東半島を得たが、独露仏の三国干渉によって遼東半島を放棄させられた。これが日露戦争へと続くことになる。

衰えたとはいえ清国の底力を恐れていた欧米列強は、まさか日本が勝利すると思っていなかった。清国の実力をしった欧米列強は清国の分割を真剣に考え始めた。特にロシアはあからさまな極東南下政策を実行し始める。三国干渉で日本から返還させた遼東半島の旅順・大連を租借地とし軍事施設を置く。

ロシアはさらに義和団の乱に乗じ満州を支配し居座り、次に朝鮮半島への侵略を目論む。ヨーロッパでも周辺諸国を侵略・属国化し続けるロシアは、蛇蝎の如く嫌われ恐れられていた。

そのロシアの朝鮮半島支配が現実となれば、日本はなすすべもなくロシアに侵され国家そのものが消滅してしまう。清国に勝ち、かろうじてアジア唯一の列強国家となった日本だが、その実態はまだまだ産業もなくとてもロシアに太刀打ちは出来るはずもない。
ロシアは国家間の条約など平気で踏みにじる専制君主国である。話し合いなどで解決できるような相手ではない。日本は絶望的な状況に追い込まれた。

しかし国民は重税に耐え軍備増強に協力した。軍人はロシア軍に対抗する為に必死で知恵を絞った。政府は世界を飛び回って情報収集と外交戦略に奔走した。ロシアの侵略を阻止する為に国家機能と国民一人ひとりが総力を上げて日本国を守るために狂奔した。

「坂の上の雲」は日本中が気が狂ったようにロシアを恐れたその時代の話である。
小説は正岡子規の逸話は極前半のみである。この小説の大半は、秋山兄弟が対ロシア戦の為にのみ人生の大半を費やしたその軌跡を縦軸に、当時の世界状況と、それに翻弄されながらもかろうじて有利な形でロシアと講和するにいたる日本の奇跡を描く。そこには司馬史観とでも言うべき「武士道を中心とする日本精神の素晴らしさがこの奇跡を引き起こした源」であるという主張が、実にさりげなく平易な文章で綴られている。

戦後になって急に戦前の日本をあしざまに言いつのる左翼的・進歩的文化人が多くいるが、彼らの歴史観は驚くほど稚拙に見える。いとも簡単に歴史を細切れにしてその部分のみで暴論を組み立てる。「軍部が国民を支配し国民は一方的な被害者である」など簡単にいえようはずもない。
今現在の立場で過去の歴史の失敗を反省するのは結構だが、連綿たる歴史を一部のみ切り取って歪んだ歴史認識を押し付けるなどもってのほかである。

多くの犠牲者を出した戦争はその悲惨さの上にやっと「否定されるべきもの」として共通認識となったのである。当時の実態を無視し又その歴史の延長で起こるべくして起こった太平洋戦争を通じて、日本の歴史をそして日本のみを悪と断罪するそんな稚拙な議論を振りかざすのは恥じるべきである。
世界史の中で懸命にこの国を守ってきた「坂の上の雲」に描かれているような日本人を、意味なく侮蔑する卑劣な行為である。

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