by 匿名
どうにもいたたまれない。憂鬱である。こんな事を書くと、きっと”ネット右翼”扱いされるだろうと思いながら・・・・
今日の愛媛新聞に大きな見出しで”「集団自決に軍関与」確定”とある。
沖縄戦の集団自決を扱った大江健三郎の「沖縄ノート」の記述を、名誉棄損で訴えた原告に対し、最高裁が「上告が許される場合に該当しない」といういわゆる「門前払い」の判決をだした。これで大阪高裁が下した「名誉棄損には当たらない」とした判決が確定してしまった。
だけど「集団自決に軍の関与確定した」というのは明らかな間違いである。知って書いたのなら悪質な虚偽記載である。(知らずに書いたのなら訂正文を乗せるべきである)
先の大阪高裁の判決でも名誉棄損は棄却されたが、「集団自決」に軍が関与した証拠はないとされている。
あ~あ。こういうと「証拠がないだけで無かったとは言い切れない」なんて云う人が必ず出てくるんだろな。だから憂鬱なのである。
大阪高裁の判決自体が「証拠がないんなら、大江健三郎氏の『沖縄ノート』は明らかな名誉棄損だろう」と突っ込まずにはいられない何ともへんてこな理解しがたい文章に満ちた判決文です。(読めば判る。いや返ってわからなくなるかも)
いずれにしろこの裁判は「疑わしきは罰せず」という裁判の大原則が、高名なノーベル賞作家である大江健三郎氏にだけ適用されて、原告側には一切考慮されなかった、おぞましい判決です。
(愛媛県の生んだ偉人の一人ではありますが、若気の至りと当時の時勢とはいえ、大江健三郎氏の『沖縄ノート』の記述は、ノンフィクションとして描いたのなら(ノンフィクションですが)当事者にはむごすぎる主観的妄想に近い夢想の入り混じったひどい文章であると私は感じます。謝っちゃえばよかったのに。なんで謝れなかったのかなあ。今でもそう思ってるんでしょうか?)
元出版会社の編集者
2011年4月23日 7:41 PMノンフィクションは全てフィクションが伴います。
若し、何も無ければレポートかニュースなのです。
作家は文章の中では人を殺す事も生かすことも出来ます。
取材した内容や聞いた事が全部真実とは限りません。
殆どの作家が常に読者の反応を意識して書いています。
それで生計を立てているのですから、より多く本が売れるように書くのが当たり前です。
結果的にひどい文章になります。
特定の人物を極悪非道に人物にする事によって、作者自身や他の日本人は良識がある人格であると言うことを主張することもあります。
集団自決に誰が関与してたにせよ、全ての日本人の連帯責任で、大江健三郎氏だけが例外的にまともな日本人なのではありません。