1984年朝鮮半島を旅行した若き日本人本間九介の紀行文『朝鮮雑記』が現代語訳で祥伝社から復刻出版された。
有名なイザベラ・バードの『朝鮮紀行』より4年前の記録で当時の朝鮮のあり様が克明に描かれている。
英国人のイザベラバードは当時の朝鮮は「世界一不潔で文化的なものは何一つない」とまことに手厳しい。その反面植民地大国の人間として、日本、清国、ロシアに翻弄される小国として朝鮮の置かれた状況をよく観察している。
しかし朝鮮社会や庶民の風習について非常に辛辣な見方をしていることについては、大英帝国の女性という人種的優越感を多少とも割り引かなくてはならないと考えていたが、本間から見た朝鮮人庶民の暮らしざまはイザベラバードの比ではない。病人や死者に対する扱いは心気をなえさせるものがある。
死者をむしろでくるんで木につるし腐敗を待って埋葬する。
病者は屋外の粗末極まりない小屋に放置し治れば家に戻れるがそうでないものはただ死んでいく。
韓国で妻になると云うことは客をとる売春婦になることである。
仏教の寺は荒れ果てて僧は乞食と同じ扱いを受けている。
どういう思想・歴史からこのような風習が生まれるのか想像もつかないが耳を塞ぎたくなる描写があふれている。
しかしそれでもなお、同じアジア人で隣国の日本人の若者の目は別の視点を持つ。
明治維新を経た本間には、アジアを植民地化する白人世界に対し、『アジア主義』とでも呼ぶべき未来を見据えた『憐憫の情』があふれている。
だが、現代の朝鮮半島の住人がこの書を紐解くことはないだろうと思う。
あのホンタク(ホンオフェ)さえも、当時ある日本人が、ヒレをとって捨てているフカの身を見て
「何とか売らんかなと思い壺に詰め塩漬けにして売ろうとしたが腐らせウジがわいてしまった。とても売れるまいと思っていたものを朝鮮人が先を争って買って行くので驚いた」
という起源を持つとは知りたくないだろう。
清国とロシアを諦め日本に従属した朝鮮人は、大東亜戦争をともに戦うことになった日本国敗戦後、常の如く敗者を足蹴にすることで勝者にすり寄り延命を図った。
歴史を通じて繰り返してきた『事大主義』に寄りかかり、ここでもまた自国の歴史を屠って戦勝国の仲間に紛れ込み、事実をひた隠しにするための反日行動に命運を託している。
この本の監修者、クリストファー・W・A・スピルマンとはどういう人であろうか?
ポーランド生まれの日本史研究者は何故この本の監修者となったのだろうか?
専門家として依頼されただけでなにも意図していないのだろうか?
ただの気まぐれか?それとも日本擁護のつもりなのか?
朝鮮人は、勇気を持ってこの書をノンフィクションとして読まぬ限り彼らには役に立つものではないだろう。
この書は彼らにとってできれば焚書にしたいもので、何があろうと無視するしかない汚点にしか見えないだろう。
しかしそのような誤魔化しがいつまでも続くものとは思えないのだが・・・・・。