1894韓国仏教
ハーバード大卒の修行僧が韓国仏教界に幻滅して三下り半を突き付けた。
日本から盗んだ仏像を、「かつて日本が強奪したものだから返さない」などという韓国破戒僧を尊敬などできるはずもあるまい。
韓国には得体のしれぬ『新興キリスト教』創始者がゴロゴロしている。
よさそうなものを見つけると、なんでも『自分のもの』にしたくなるコリアンの習性だろう。
韓国人の「自分のものにしたい」は我々のように「学んで理解したい」ではない。本当に「根こそぎ自分だけのものにしたい」なのだ。
近年は日本文化がほしくてたまらず、あらゆる日本文化を韓国発祥と主張してツバキを飛ばして主張している。
韓国に仏教修行に行く外国人がいるというのを今回の件で初めて知った。
何を好んで韓国へ?文化的なものを悉く韓流に堕してダメにする韓国に経典など残っているのか?
本間久助という日本人青年が1894年に出版した『朝鮮雑記』に、
「韓国の仏教僧は乞食同前の存在」
「寺なども荒れ放題で誰からも敬われていない」
と書いているのだが、韓国仏教は一体いつ復活したのだろう?
恐らく日本に併合された時日本が仏教寺院も復活させたのだろうと思う。
しかし「文化的なものを悉く韓流に堕してダメにする韓国」だ。
仏教の修行や研鑽など、どんどん歪め堕落したのだろう。
仏道をきちんと修業すれば、「韓国人の盗賊が盗みだし韓国に持ち込み有罪判決を受けた事件」の仏像を、「自分のところのものだ」などと主張する非常識な似非仏教者など生まれまい。
玩具の様な仏像を持ってきて「これと交換しよう」というにいたっては吹きだしてしまう。「ありがとう。でもこれは君にあげるから盗んだ方を返してね」とでもいえばいいのかな?
韓国人修行僧が日本で修行しているという話でもあればまだしも、そんな話聞いたこともない。
韓国仏教界がどんな酷いことになっているかなんとなく想像はつく。
1894年の状態へとどんどん退行しているのだろう。
まあ、韓国で仏道を学んだという海外の学生も学生だ。一度でも日本に来てみればすぐわかっただろうに。
もう少し下調べしなさいよ。