《BY WEBラジオ》
何度も同じ問題が繰り返される。普通の社会ならありえない。
日本社会の堕落が加速しつつあるとしか言いようがない。
もし日本が安定した状態なら、一般社会であるならいざ知らず「教師」という職業人が管理する「学校」という閉鎖社会で、これほど同じ問題が繰り返されるとは思えない。
よしんば一定の割合で堕落・低落しつつあるとしてもそれは一種の安定状態で、悲惨ないじめを防止することくらいはできそうだ。
教師は大学を卒業して40年近く教職にあると仮定すれば、過去の「いじめ問題」の経験・知識は蓄積され維持されるものと期待します。
そのような経験を持つ教師の存在は「いじめ」の繰り返しの防止になるはず。
しかし今回の大津市の「いじめ問題」で、再発防止に責任があると思われる教師・学校・教育委員会・警察等の対応は、過去のケース以上に隠蔽・ごまかし・責任逃れに終始している。
見る者聞く者の心に抑えようのない怒りを生じ、深い傷を与えている。
もはや、彼らは「加速しつつ堕落しているに違いない」と信じざるを得ない。
偉そうな事をいうつもりはない。
それは私を含む日本社会全体が「加速しつつ堕落している」という事なのだから。
彼らのコメントには、「自殺した生徒の家庭の問題」を匂わすようなものがある。
部外者には知るよしもないが、いずれ明らかになるだろう。
家庭に少々の問題があろうとも、13歳の子供が簡単に死を選ぶとは思えない。
いや、もし「家庭環境に問題がある」と認識していたのなら、彼らは当然救いの手を伸べる立場にいたはずの人達で、それをせず可能性をあげつらうとは精神的に未熟すぎる。
このような事件を見ると、もはやこの社会は救いようがないのかと思ってしまう。
一体日本社会で何が崩壊しているのだろう?
かつてテレビが登場した時「一億総白痴化」と警鐘を鳴らした大宅壮一は今の社会を見通していたのだろう。
テレビが家庭に登場し、自分で深く考えることをしなくなった日本人は、NETの登場でさらに受身になり、ネットやテレビで垂れ流される情報をまるで自分が考えたかのように身内に取り込んだ。
だがそれはあくまで借り物に過ぎない。借り物の思考の中で、無自覚な自我(エゴ)が肥大化している。
エゴは致し方なく浅ましいものである。そのエゴを自分自身と錯覚して事に当たって右往左往しているのが今の人間である。
日本人みんなが「自分」を見失い、だからこそ「自分探し(の旅)」などと大の大人が平気で口にする時代となった。
人間とは、本当の自分とは、本来もっと気高く高貴なものである。
目を背けたくなるような浅ましい自己弁護とは無縁のものである。
本当の自分は、「いつか、どこかで、なにかをなしとげれば手に入る」 といった性質のものではない。
「自分」 という 「生命、いのち」 をもっと真剣に見つめなければ得られない。
そうしたからと言って必ず理解できるものではないが、エゴはずっと小さくなるはずだ。
日本だけなのだろうか?
そんなはずはない。ネットで瞬時に結ばれる世界で日本だけが独自に動くことなどありえない。
日本の政治が停滞しているといわれて久しいが、後を追うように先進国の政治状況はどんどん日本化している。
高齢化もデフレも、今や未来の世界の姿は日本が世界に先駆けて現実化していると見た方が良い。
だとすれば、この混迷からの脱却も日本がいち早く実現するだろう。
150年前、世界に目を向け瞬く間に世界を追いつき、70年前一度は挫折したものの脅威の努力で世界トップに追いついた日本である。
日本が発展するその源泉は国民性にある。
日本にはそれほど素晴らしい精神文化としての遺産がある。
今、日本人・一人一人が、日本の精神文化を見直さなければならない。