スピリチュアル

信(2)

BY ニドウ

一般に「信じる」という言葉は「〇〇を信じる」という風に使う。「愛する」という言葉もそうだ。対象があって初めて文章になると思っている人が多いのではないだろうか。

しかしはたして対象のない『愛』や『信』は成り立たないのか?
ある。それは全てを対象にする場合である。ありとあらゆるもの、森羅万象を対象にする場合には文章として対象を表記する必要はなくなる。

言葉は万能ではない。もどかしいくらい不自由なものであるが、それはまた真実を暗喩する面白いものでもある。文章として可能であるということは非常に重要な意味を内包している。対象を必要としない『愛』『信』、それが真実であるという事を示しているのだ。

『愛する』『信じる』という言葉はそれだけで完結する言葉なのだと思う。そして対象を限定しないということは「全て」を暗示しているのだ。

私は今、「宗教を信じる」という行為は『宗教』を信じることが大事なのではなく、ただ『信じる』という行為が目的なのだと理解している。
対象のない『信』が無限の『愛』なのだ。この時「あなたは『愛』である」という言葉が成立する。
仏教が痛底する日本人には『愛』よりも『信』の方がなじみ易い。「あなたは『信』なのだ」

『信』とは「受容」、つまり受け入れ同化することである。
対象のない『信である』ことは、世界と一体になるこなのだ。我も他人もない「自他不二」の存在である。

人みな頭(思考)で理解し判ったつもでいるが、この世界の何も判っていない。
本当に理解するということは「全身にしみわたるカタルシス」であり、魂で理解することなのだ。
魂は『信じる』ものだけを理解する。これが「色心不二」である。

『信』(『愛』)こそ始まりであり終わりであり全てである。

私は貴方を愛していますー神との対話ー

BY Jao

(私) しっていますか? わたしはあなたを愛しています。

(神) しっている。わたしもあなたを愛している。

ニール・ドナルド・ヲルシュ氏の大著「神との対話」にて交わされる、実にさりげないこの会話のみの一章。

思わず笑みがこぼれてしまう大好きな一章です。

マヤの暦とアセンション

by ヒロシ

2012年アセンション(次元上昇)がおきて、人類が新しい次元に進化するという話をスピリチュアルなサイトでチラホラ見かけます。
次元上昇って何なんですかね?
ほっといても自然にみんなの意識レベルが上がって幸せになるんでしょうか?

確か「マヤの暦が2012年までしかない」ということで、その事をアセンションと結び付ける人もいるようです。その一方で暦の終焉を人類の滅亡と結び付ける人もいます。どちらが本当なのか知りたいものですが、知ってもどうしようもない気もします。

ちょっと気になるのがエックハルト・トールというスピリチュアル・マスターが、人間は「死の瞬間に悟りを得る(アセンションを迎える)チャンスがある」ということを言っていますが、これが本当だとすると、

”2012年、人類は滅亡とともにアセンションの機会を得る”

という図式になってしまうのですが、皆さんはどう思います?

言葉のない世界

by ニドウ

もしこの世界に言葉がなく
全てのものに名前がなかったら

名前のない私とあなたは
区別できるでしょうか? 続きを読む

為になる?

by ヒロシ

私が面白い(?)と思うサイトを紹介します。今さらですけど。
スピリチュアル系ですけど。それにみんな知ってるかも。

「あの世に聞いた、この世の仕組み」 BY 雲 黒斎

うつ病の治療薬の副作用で、突然守護霊と交信できるようになった
”黒斎”さんのブログ。守護霊が”雲”さん。
胡散臭い(ウンコクサイではない)名前で真面目にこの世の摂理を説く、為になって面白いサイト。
本も出版されましてすぐに買いに行きました。

「いまここ」 BY 阿部 敏郎

「今ここ塾」塾頭、阿部敏郎さんのブログサイト「いまここ」。
わがままで上から目線だけどとっても気持ちいいサイトです。
元気が出ます。癒されます。その気にさせられちゃいます。
元歌手、沖縄在住。
知る人ぞ知る、知らない人でも知っていそうな魂のメッセンジャー。

二人のコラボ講演会の名前が「阿・雲(あうん)の呼吸」だって。
うまいねー。見るべし、一見の価値あり!