NHK運営委員に選ばれた長谷川美千子氏は「憲法に反する思想の持ち主であるから辞任させるべきである」という主張が聞こえてきます。
その長谷川氏が違反する憲法とは?
朝日新聞社に乗り込み拳銃自殺した右翼(野村秋介氏)の追悼の会に寄せられた、長谷川氏による追悼文が問題らしい。
【野村氏は「俺は朝日と刺し違える。そう公約したのだ」と言って、最後に「すめらみこと、いやさか(天皇陛下万歳のヤマト言葉的表現)」という言葉を繰り返した後、拳銃自殺した。
長谷川氏は、追悼文においてこの拳銃自殺を賞賛し、神(つまり天皇)に命を捧げた尊い行為であるとしている。従って、長谷川氏は明らかに、天皇を神と崇める思想、つまり、象徴天皇制を唱った現憲法の第一章に反する思想の持ち主である。】
というのだが、俺の頭がおかしいのか?
天皇を神と崇め奉るのは個人の自由。 思想・信条の自由を保障している憲法に背いているのはこの論者の方としか思えないのだが、俺の頭がおかしいのか?
バカバカしくて答える気にもならない(のだが)、
憲法第一章に謳う『象徴天皇制』は個人の思想・信条と何の関係もない。
日本国の政治体系の中において天皇の関わり及び役割を規定したものであって、国事行為にどれだけ天皇が携わるかを規定しているに過ぎない。
この論者は
「天皇を崇拝せよと書いていない」から「天王を崇拝するのは憲法違反だ」といっているのだ。
「法律に人助けをせよと書いていない」だから「人助けをしたら法律違反だ」といってるようなもの。
この論者の言う通りなら、「神社にお参りする人はみな憲法に反する行為をしている」ことになる。
なるほど靖国参拝を狂ったように敵視するわけだ。
ついでに長谷川三千子氏は追悼文(部分)でこう述べている。
「野村秋介氏が二十年前、朝日新聞東京本社で自裁をとげたとき、彼は決して朝日新聞のために死んだりしたのではなかつた。彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない。人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである。」
この痛烈な朝日新聞批判を、まともに受け止める勇気も能力も、それ以前に理解力もない人たちには、『憲法』の「象徴天皇」という言葉を持ち出し筋違いの反駁を試みるしかないのだろう。
だがそれで、何がしからでも得るところがあるのか?
唯物論左翼と彼らが「麻薬」とさげすんだ現世利益宗教者たちが奏でる観念論的政策、『原発即時廃止』『軍備放棄』『自由と平等の保証』『無条件の弱者と犯罪者の救済』等々を唱え、得意げにまるで「やってよい事だけを書き込んだ法律書」を作れると信じ、バベルの民のような徒労をく繰り広げる彼らに、文章にできない人間存在の本質を一度でも問うたことがあるのか聞いてみたいものである。
目に見えぬものに目を向ける必要など露ほども感じてゐない、傲岸な連中にだけNHKやマスメディアというおもちゃを与えるのは日本の恥です。
だから 長谷川三千子 NHK運営委員はこれでいいのだ!