BY ニドウ
信仰とは何か?なぜ証明しようもない者を信じられるのか?それは、無知による非科学的な行為ではないのか?
かつて、そう考えていたのだが、では「科学的に生きようと試みて如何ほどの幸福を手にすることができたのか?」と問われれば何ほどのものも得てはないのだ。
いくら知識を漁り思考を積み重ね、世の蒙昧な説を論駁しようが、この身の内に確たる自信や信念はかけらもない。
ただ不安に怯え、苛立ちを隠し、真実を求めてさらに知識を得て思考にすがり、何時の日か安寧の日々が僥倖のように訪れるのをあてもなく待ち続け、気が付けばいつしか齢を重ね、朽ちてゆく身を諦念を持って眺めるのみ。
知識・思考に何ほどの力もないと知れば今、非科学的とされる「信」にこそ求め続けてきた安寧のとば口があることにたどり着く以外はあるまい。
真理、この世の全き理解、悟りの道は、信仰や信念の内にあることをついに理解するのである。