2014年5月

オバマ大統領が悪魔に見える 罪なノーベル平和賞

オバマの優柔不断に愛想を尽かしたイスラエルがとうとうアメリカに三行半。
中国・インド・ロシアに秋波を送る『脱アメリカ世界戦略』外交を展開し始めた。

リビア・エジプト・シリアでロシアの後塵を拝し、アジアでも歴史への無知から、無能な教師のように「日・中・韓は話し合って仲良くしなさい」と声だけかけていじめの実態に目をつぶり知らんぷり。

クリミヤ帰属問題でも、歴史的経緯を無視したロシア批判・制裁で、結局ウクライナの内部分裂を引き起こし世界を震撼させている。

これらの政策に、アメリカの中で厳然たる一大勢力であるユダヤ系住民をおおいに『失望』させている。
中・韓がアメリカを『歴史戦争』の舞台にしているのにしらんぷりオバマに同盟国日本はおおいに『失望』している。


このオバマの無能、無力な引きこもり現象はなぜだろうと考えるのだが、

ひとつだけ思い当たるのが、

就任早々いただいた『ノーベル平和賞』

「核軍縮に寄与した」とかなんとかだったと思うが、口先で表明しただけで何の成果も見極められない時点で早々と決定した『ノーベル平和賞』。

元々選考過程の不明朗な『平和賞と文学賞』
あの受賞には世界中が首をひねったのだが、黒人であるオバマ大統領に及ぼした影響は我々の想像をはるかに超えていたのかもしれない。

オバマ氏は『ノーベル平和賞』にふさわしい政治家を演じるために、米国とその同盟国を犠牲にしようとしていて、本人はそのことに気がついていないのかもしれない。

オバマがしっぽの生えた『悪魔』に見える!

堪忍袋の緒が切れたイスラエルは中・印・露に接近している。
イスラエルが接近している三国はいずれも核兵器保有国。
ヘタをすれば唯一の超大国と言われたアメリカがのけものにされる『新たな世界支配体制』が登場するかもしれない。

核兵器を持たなければ生きていけない核兵器に埋め尽くされた世界!
『平和賞オバマ』は本物の悪魔と呼ばれるだろう。



日本人訳者の痛恨の『捏造』!?

///__米ニューヨーク・タイムズ紙の元東京支局長が、ベストセラーの自著「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)で、日本軍による「『南京大虐殺』はなかった」と主張した部分は、無断で翻訳者が書き加えていたことが8日明らかになった。

 英国人の著者ヘンリー・ストークス氏は共同通信に「後から付け加えられた。修正する必要がある」と述べた。翻訳者の藤田裕行氏は加筆を認め「2人の間で解釈に違いがあると思う。誤解が生じたとすれば私に責任がある」と語った。

 同書は「歴史の事実として『南京大虐殺』は、なかった。それは、中華民国政府が捏造したプロパガンダだった」と記述している。

 だがストークス氏は「そうは言えない。(文章は)私のものでない」と言明。「非常に恐ろしい事件が起きたかと問われればイエスだ」と述べた。(共同)__///
【5/9 産経ニュースより】

ソースが共同通信社だから真意のほどはまだ確かではないが、事実であるとすれば痛恨の出来事としかいいよがない。

この重要な『歴史戦』になぜこのような人物が訳者として登場したのだろう。

知日派の英国人記者の著書は日本が中国・韓国の歴史捏造に勝利するのに切り札にもなろうかという重要な武器。
その著書を翻訳するのに『捏造』をしてはなんにもなるまい。
この問題に真面目に取り組んでいる人々の努力を無にする行為で日本人にあるまじき行為。

実に実に口惜しい!

だが恨みごとばかり並べても始まらぬ。
これを機に、ヘンリー.S.ストークス氏に『南京虐殺』の史実を理解してもらうべく国を挙げて活動しましょう。

しかしこの共同通信の記事はホントかいな?



科学者の常識を問う

日本の科学の総本山くらいのイメージだった『理化学研究所』が、これほど官僚的でいい加減な組織だとは思わなかった。

『STAP細胞』発見者の小保方晴子氏の論文が、「不正・捏造である」とした調査結果を不服として申請していた再調査を拒否。
再度の申請が制度上ないため「小保方博士の「不正捏造が確定し、論文の撤回を求める」という決定が確定することになったという。

これが世界に誇る科学者集団の常識なのか?

この事件に関しては前々から苦々しく思っていたのだが、
「論文の資料や写真が別物だった」として、「研究そのものが不正な捏造である」という飛躍した論理がまかり通ったことである。

マスコミも識者も世論(本物かどうか知らないが)も、『STAP細胞』は捏造であるという批判一色であったのは異様な光景だった。

研究に疑義があれば「論文通りに実証実験してSTAP細胞ができるかどうかを検証する」ことが科学だと思うのだが、今回の理研の処置は、通常最低150日かける調査をわずか47日の調査で「論文の資料に疑義があるから『STAP細胞』論文は撤回するべきだ」という結論を出した。

おまけにその調査をした委員長や他の調査員の論文に「ツギハギの資料貼付が次々と発覚」し委員長が辞職するというお粗末さ。

理研だけでなく日本人も日本のマスコミも、まるでどこかの国みたいに「ギャーギャーと人を非難して溜飲を下げる姿」にうんざりだった。

小保方さんに申し上げる。
『STAP細胞』に自信がおありなら絶対に論文は撤回しないこと。
海外に出てでも『STAP細胞』を再現させて公開すること。
(再現させる詳細な方法など公開しなくて良い)
そして理化学研究所と理不尽なマスコミに対し法的措置をとること。

なんの手助けもできぬ身で申し訳ないが、
ぜひ法廷闘争おやりになっていただきたい。


この事件の裏に潜む黒幕をあぶりだすため、
理化学研究所の立て直しのために、
日本人の良識を問うために、是非お願いしたい。



武士道は世界を救う

100年前に誰が今の世界を予測し得ただろうか?
SF小説家あたりなら、自然科学の発達による便利な機器の発明の一部くらいは予測したかもしれない。

人類は、空を飛び、海に潜り、宇宙空間にまで足跡を記した。
あらゆる出来事を映像としてを記録し、遠くにいる人といながらにして会話することができる。
ひょっとすれば自分の細胞から新たな自分(クローン)を作るという『神業』さえも可能になるかもしれない。


だが人類はそれで『幸福』を手にしたのか?

せめて、『山のあなたの 空遠く』 少年の日に思い描いた見果てぬ空の下、
『幸い住むと人のいう』、うつつ夢見るユートピアの、その影なと垣間見ることはできたのだろうか?


全く冗談ではない。
文明が発達しようが求める『ユートピア』のその影さえ見えぬ。
若者たちは「そんなものはありはしない」と享楽にふける。

今日も今日とて、アフリカの地で女生徒200以上を拉致した『イスラム過激派』のリーダーが、「西洋風教育をやめなければ女生徒を人身売買で売り飛ばす」と画面の中で笑顔でうそぶいている。
イスラム聖職者はこの映像をどういう気持ちで見ているのだろう?
なぜ聖職者達はテロリストに「あなたは間違っている」と指弾しないのだろう?


混迷を深める地上世界は神の不在の証明なのか?
神は「思召し」とうそぶくテロリストの味方なのか?


まったく冗談ではない。
賢明な人なら既に気がついているはずだ!

この混乱の源は、
人間の命を大事にしろ、国民の生活を守れという人たちだ。
人間の命を不可侵の価値とあがめ全ての上位においた人たちだ。
言いかえれば「神を殺し、人間、いや自分を神に仕立てあげた」人たちだ。

彼らの主張の行き着くところは悲しいかな必然的に決まっている。
彼らの言う命は「自分の命」であり、生活とは「自分の生活」でしかない。
自ら意識せず、他の人達の不幸に「自分でなくてよかった」と胸をなでおろす。


彼らの崇める命は『エゴ』の生み出す『自我』である。
価値も目的もない、生きんが為のただのシステムである。

かつての日本人はその『エゴ』を抑えることを人生の修養としていた。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という『葉隠れ』の一節は、決して命を軽んじるものではない。

エゴに振り回され「命を後生大事」にすることで結果『恥知らず』な行為をとることをおそれ、「道に迷わばいち早く死ぬ道を選択せよ」と教えた言葉である。
【乗客を見捨て、いの一番に逃げ出したどこかの国の船長は、いまほっと胸をなでおろしていることだろうが、その生きながらえた人生が生き地獄だと気がつく日が来なければ無間地獄に落ちるしかないだろう。】

日本の武士道の真髄はここにある。
日本刀の如く鍛え上げたこの価値観は、日本文化独特の凄さであり、
この精神文化こそが、世界を救う唯一の手立てではないかと思う。

【どうせ批判する人は多いだろう。好きにすればいい。だが頭ごなしに否定せずせめて自分の頭で一度考えてみて欲しいと思います。)



少年老い易く・・・また嬉しからずや。

不思議なことだが、
還暦過ぎて振出しに戻るというのはあながち言葉のあやではないなと気が付いた。

「何の為の人生ぞ」などと青臭いことを考えてると、つくづく「なんも成長してねえ」

二十歳ごろから?いや中学時代から? いやいや、よくよく考えてみれば、
物心つき始めた保育所時代から何も変わってないのではないか?

多少は知識は増えただろう。
友人・知人・家族もでき、悪い遊びもしたし後悔も一杯抱えている。
しかし・・・本質のところは、『保母さんのスカートの中に頭を突っ込んで叱られてたあのはなたれ小僧』のころから何も変わっていない。

この年になって気が付いたのだが、人生で経験してきたことは数多あるが、どうやらそれら全て「もともと知っていた」ことを思い出し「行動に移してみている」だけのことにすぎないのではないか?

元々知っていたことなら『成長していない』ことを嘆く必要はない。一安心である。

この世に生まれるというのはあの世で学んだことを『思いだして実践』してみるということ。
あの世は、この世でいえば「机の前で学習することや瞑想して深く思索する」ような状態で、
この世は学んだことや思索したことを実践する場なんだ、と思い至った。

死ぬということはまた改めて学びに行くことで、生まれ変わるというのは学んだことを実践すること!
これが真実なら『誰か死を恨みて嘆かんや!誰か再び生まれ出でんことを望まざるや!』

Q: 「なんであの世のことを覚えていないのか?この世で改めて思い出す必要がなぜあるのか?」

A: それをすると、『その前のこの世(前世)』のことも思い出さねばならなくなり、同じことの繰り返しにしかならないからです。

この世で出会ったあなた。
『袖ふれあうも他生の縁』 きっと、ず~っと前からのお付き合い。

ありがとうございます。今後ともよろしく!



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