2012年7月

幸せ

≪BY ニドウ)

幸せってなんでしょうか?

昔、何かの本で、日本の巨大新興宗教の会長さんが「幸せとなにか。簡単にいえば”欲望の充足だ”」と言っているのを見た事があります。まあ「現世利益」を売り物にしている宗教だけあって「解りやすい!」
ここだけ切り取って言えば「共産主義者と何にも変わらないです。

お釈迦様は「幸せとは苦の消滅」だと言いました。
八つの苦が(四苦八苦)人生の根本原理である。「苦を知りその生じる原因を知り、苦を滅する方法を知り、苦を滅する方法を実践する」ことで幸せ(涅槃寂静)になる。

仏教以外の宗教の信者から見ると「仏教は宗教ではなくて哲学だろう」と感じる人が多いようです。

確かに理路整然、其々に必要な知識、考え方を具体的に書かれています。科学的といってよいくらいで「哲学」という評価は正しいと思います。

ここ最近(といっても結構前1980年頃からですが)ニューエイジ運動としてアメリカで生まれた思想があります。
それは現代の実証科学的手法を用いた、退行催眠による前生記憶や臨死体験の記録を既定事実としてとらえ、社会活動における成功法で用いられる思考法(ポジティブシンキング・願望達成法など)に、東洋の宗教的瞑想実践法から得た神秘体験をミックスした、新しい思想(宗教)活動です。

大変魅力的な思想で、数多くのスピリチュアルマスターが感動的な著書を数多く出版され世界的なベストセラーが生まれています。

しかしこれらの本を読むと、本当に驚くほど仏教に近いのです。
もっといえば、「仏教の解りやすい解説書」といってもよいくらいです。

なぜこんなことになったのかというと、これは本来世界の仏教界をリードしてしかるべき立場の「日本仏教界」が人材不足により、難解な(精緻すぎる)仏教を解りやすく解説する努力を怠った権威主義に陥っているからしょう。
おかげで仏教など「葬式仏教」と呼ばれるくらい日常と乖離してしまいました。

日本でもニューエイジ活動家でスピリチュアルマスターと呼ばれる人がここ最近多くあらわれていますので、仏教界からも是非新しい日本人の指導者が現れて欲しいものです。
長い歴史を持つ仏教は、ニューエイジ思想を凌駕する、素晴らしく具体的な修行メソッッドを有しています。
日本は近いうちに、仏教だけでなくニューエイジ運動の聖地にもなるに違いありません。
(でも日本人は輸入物が好きですからね(笑)。私もですけど)

 

 



シャッター街をどうしよう

《BY 浜っこ》

ご多分にもれず我が故郷も個人商店の集まる商店街は閑古鳥が鳴いている。
平日の昼間なんて端から端まで歩いても買い物客には殆ど行き当たらない。
いつの間にか店が消えて、大半の店はシャッターが下り「貸し店舗」の張り紙。
タイル張りのカラー舗装した道とそれを覆うアーケードは一見立派だが、いずれ後を継ぐ者もなく朽ちていくのだろう。

なんて感傷的な事を行っていても始まらない。

提案を幾つか、
1)空き店舗で取り壊せるところは空き地にして全部緑地にする。
2)長い商店街を利用したイベントをする。 徒競走(古!)とか ソリ競争とか。
3)町を挙げて俳句愛好家を呼び名句を作ってくれたら飯を食わす。
4)お年を召されたかつてのスターを呼び集め自由に滞在してもらう。
5)素人による地元グルメの大食い競争。優勝者にはダイエット器具。いや豪華商品で敗者は自腹という手もある。

さてさて、だれか廃墟になってしまう前にやってみませんか?



小沢新党は「日本維新党」!?

≪BY KEI≫

冗談です。まだ決まってないし知りません。でもありそうでしょう?
橋下人気にあやかって各地に「維新の会」ができましたが、泣かず飛ばず。中には「与党応援団」みたいなものも多く、おかげでご先祖様が命をかけて国を守るために行った偉業「明治維新」がすっかり手あかのついた言葉になてしまった観があります。

すっかりダーティなイメージが付いてしまった小沢氏は、バッシングを受けている面も多いと思うのですが、それも「ご本人の不徳」と大きくとらえているかどうか。
「同和育ち」と強調して「同和の問題は全く解決していない」という橋下氏と息が合いそうですね。
同和問題が「不徳」というのじゃありません。でも「同和で育って差別を受けた」という橋下氏はいま押しも押されもせぬ大阪市長。誰もあなたを同和出身と差別していません。本当に同和出身かどうかなんて興味もありません。
一部マスコミは取り上げるかもしれませんが、そんなマスコミは「同和」はネタの一つとして取り上げているだけ。同和でなければ他のネタで中傷するでしょう。

誤解を受けるのを承知で言いますが、あなたにとって「同和」は結果的に人生を豊かにしてくれてるのじゃありませんか?やはり差別ですか?



橋下「維新の会」に疑問

《BY KEI》

大阪維新の会が国政選挙に意欲を見せている。橋下市長は国政には興味がないといいながら舌の根も乾かぬうちに、臨戦態勢を固める維新の会だが、その政策は妥当なのか?

大阪府知事次代には「大阪府と大阪市の二重行政を解消」する為にと任期半ばで投げ出した。まあ橋下氏自身が出馬したからこそ大阪市長の座を獲得したのは間違いないのだが、今度の国政に本人は「出馬しない」と言っているがどうなるかわからない。
「大阪都を実現する為に」と国会を目指すのではないか?

大阪府知事としても大阪市長としても、確かに歯切れ良く「行政の無駄と怠慢」に切り込んで見せ喝采を浴びている。庶民は大喜びである。
原発再稼動も拒否して見せたがすぐに撤回、今は消費税増税反対の旗印を上げている。

彼の政策の原理が実は良く判らない。
唯一国政らしい政策は「地方主権・道州制導入」くらいしかない。
消費税は増税反対といいながら、「消費税は地方税にする。その代わり国からの交付金は廃止する」といっているのを聞くと「消費税増税反対派」とは言いがたい。
外国人参政権付与はこの法律の目的を考えるなら純粋に賛成派である。
原発は「絶対認めない。民主党をつぶす」とまで気勢を上げながら「容認です」と白旗を揚げた。相変わらず国に対し「電力会社の利益を守るために行動している」と批判はしているが、結局、自民・民主となんら変わりはしない。
その上問題の多い「人権救済法案」にも賛成。

府知事・市長として行政の無駄・怠慢にメスを入れているが、彼のやっていることは「ルールを守れ」「守れないものは出て行け」という当然のことだけ。その簡単なことさえ出来ないこれまでの行政組織が、そして日本人が堕落しているのは事実だが、国の根本の政策とは無関係。

府知事・市長としての活動であれば「がんばれよ」と応援してもよいのだが、国政の場で「道州制導入・外国人参政権付与・人権救済法推進」といい、その上曖昧な原発対応のようにコロコロ意見を変えるようでは国政は任せられない。

私はこの頃彼に、小沢氏と似た「得体の知れない”恨み”に根ざす野望」のようなものを感じ始めている。
そして彼はタレントである。瞬間的にその時に何を取り上げれば大衆受けするか瞬時に判断できる能力がある。
だがその才能が国政に出れば必ず裏目に出る。第二の鳩山首相の誕生である。
今は人気があるのでマスコミも問題にしないが、彼の「豹変」ぶりは「思いつき発言の修正である。

彼は大阪市長でいい。維新の会は国政に出てはならないと思う。道州制について彼はもっと熟慮してみるべきである。

「地方主権」と言う言葉を良く使うが主権は国民にのみあるので、国の行政権の一部あるいは大部分を地方に移すというのであれば「地方分権」である。
地方分権・道州制の導入を主張するが、本当に国政を見据えた発言なのか?
彼は「維新」という言葉が好きなようだが、「明治維新」は西洋列強の力に対抗する為に地方分権である幕藩体制を「中央集権国家」を作りかえる、日本人が成し遂げた支配階級自らの手による奇跡のような革命でした。

明治から現在に至るまで、敗戦による痛手を乗り越え、日本の独立を守り世界に冠たる経済大国によみがえらせたのは中央集権体制です。
現在中央集権体制がうまく機能していないから地方分権というのはあまりに短絡的過ぎます。
霞ヶ関が機能しなくなったのは、戦後教育で「左翼人権主義」教育を受けた官僚が「天下国家のために働く」という理念と「個人の人権に重きを置く」という理念の間で迷っているからです。
どう考えてもこの日本で道州制・地方分権への移行は無駄と混乱を生むでしょう。
都市部と地方の格差は拡大するでしょう。
大規模災害にどう対処するんでしょう。
社会インフラの整備維持はどうするんでしょう。
国家として基本政策をどうするんでしょう。
日本を支える企業の国際競争力をどうやって高めるのでしょう。

維新の会は、橋下氏が率いても彼が離れても、遅かれ早かれ自壊するでしょう。
小沢氏が「壊し屋」と呼ばれるのと同じように橋下氏も「壊し屋」と呼ばれるでしょう。それが悪いとは思いませんが、活躍の場を賢明に選んで頂きたいと思います。

維新の会・橋下氏に国政は無理です。鳩山・菅で痛手を負った日本を壊すでしょう。

 



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