《BY 老師》
としがいもなく、判らないくせに性懲りもなく・・twitterやface-bookをカジッテ見るのだが、満足に使いこなせるはずもなく途方にくれることもしばしば。
特にtwitterは、見知らぬ相手をフォローしたが最後フォローした相手達から膨大な呟きが流れてくる。それだけならいいがそれらが瞬く間に流れ去ってゆく。なぜなら、後から後から押し寄せてくる新しいつぶやきに古いものは彼方へと押し流されてゆくのだ。つまり川の流れのようなもの、でいみじくもこれを「タイムライン」と呼ぶ。
流れてくる情報は種々雑多。意味不明の言葉も多い。
ふと「これはなにかに似ている」と言う思いが浮かんだ。
そうだ確かに「あれ」に似ている。
目の前を通り過ぎてゆく出来事に、一々ののしったり感嘆したり嘆いたりする。
つまらぬ事を考え、その考えがかぎとなって次の思いを引き起こし次々と連想や想像をたくましくし、あろうことかそれで腹を立てたり悲しんだりする。
懸命な諸兄にはもうお判りでしょう。
「あれ」とは人間の頭の中の「思考」です。
ご丁寧にtwitterにはフォローのほかに「お気に入り」や「リスト」といった、自分の興味のある相手を登録する事が出来る。つまりある物事に対する興味を強化し「偏執狂」への道筋まで用意している。
製作者が意図していたかどうかは判らない。
だが最近ますます強く思うのです。
twitter は「人間の煩悩」をかたどっている。いやtwitter は「煩悩」そのものだ!と