村上春樹氏が「韓国に謝罪すべきだ」という見解を示していますが、まあこのお方は大江健三郎氏に似てますな。
日本人を貶めて自分だけは「立派な文化人」であるつもりの大江健三郎氏を尊敬しているんでしょう。
人間の人となりと芸術作品は別のものと思っていますが、「ものの美醜がわからぬ愚か者」と笑っていただいて結構。
わたしはこのお二人の著書の良さが全く分かりません。なぜこれほど評価されるのか不思議でしょうがないのです。
村上春樹氏が韓国に謝れというのは、その理由はわかりませんが、その気持ちはわかります。
なぜなら、彼はテルアビブの講演でこういったからです。
「私が、高く堅固な一つの壁と、それにぶつけられた一つの卵の間にいるときは、つねに卵の側に立つ。」
「たとえ壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。」
「くーっ!かっこいい!」と村上春樹氏は思っているんでしょうね。
///__この例え話の意味にはより深い意味があります。こう考えてみましょう。誰でも、多かれ少なかれ、卵なのです。誰もが、薄い殻に包まれた、かけがえのない、取り替えのきかない存在なのです。これは私には真実ですし、あなたにとっても真実です。私たちはみな、程度の違いはあれ、高く堅固な壁に向き合っています。壁には「大いなる制度(ザ・システム)」という名前がついています。「大いなる制度」は私たちを守ろうと期待されている反面、時に独走して、私たちを殺害しはじめ、他国民を殺害するように仕向けます。それは冷血に、効率よく、制度的に進行するものです。__///と説明しています。
理想を掲げる人権派のみなさんがよく唱える
人間の命はかけがえがない。地球より重い!
というセリフと同じです。このような言葉を臆面もなく使う人間をわたしは信用できません。
大江健三郎氏もそうです。一見人間に対する優しさに見えて全てはエゴでしかありません。
「真実相当性」という言葉で『お情け』の無罪を得て、「勝った勝った」と喜ぶ大江氏の老醜の姿は見るに堪えません。
大江氏も村上春樹氏も、その文章は実に思わせぶりで何を言いたいのかよくわかりません。
こういう場合たいていは「本人が何を言いたいのかよくわかっていない」のだと思います。
天下のノーベル賞作家に向かってこんな大それたことを言えば多くの方のお叱りを受けるでしょう。ごもっともですが仕方ありません。
「韓国に謝罪すべきだ」という村上春樹氏は実に幼い。
感性は人一倍豊かなお方なのでしょうが、精神的には左翼人権派のみなさんと同じく実に幼い。
韓国=被害者という図式を疑いもしないその幼い思考で政治に関わるのはやめた方がいい。
人間にとって対峙しなければならない『堅固な壁』を、『大いなる制度、ザ・システム』と言われますが、
あなたがいみじくもおっしゃるように「わたし達を守ろうと期待されている大いなる制度」の、その正体もまた同じ人間なのです。
あなたは「卵の側に立つ」と言うけれど、
あなたが「向かい合っている壁もまた卵である」
その真実に気が付いていない。