カテゴリ:つぶやき

入れ墨入れていても客は客?

《BY WEBラジオ》

道後温泉に来た県外客から「入れ墨客が多い」と苦情の投書。
これに松山市は「入れ墨しても更生した人はいる」と人権配慮発言。

昔、銭湯華やかなりし頃、「背中に立派なモンモンをしょったオジサンたち」と一緒に入浴していた世代としては「べつにいいじゃない」と言うのが正直な感想なんです。
まあ「入れ墨客が団体で押し寄せ傍若無人に振舞う」としたら確かに迷惑ですが、スッポンポンでブラブラさせながら凄んでもサマにならない。

入れ墨は世界の地域によって受け止め方は違う。
たまたま日本はヤクザが男気を示す為に彫る場合が多く、入れ墨=ヤクザという図式で認識されてるが、殆どの国ではファッションとして認識されているようにみえます。

経営者や運営者の判断で「お断り」するのは自由。そしてお店はそれを”売り”にすればいい。
入れ墨客の方も無茶は言わず「どうぞどうぞ」と入れてくれるお店を選べばいい。

大阪の橋下市長が職員の入れ墨を問題視しているが、これまた同じように「大阪市は入れ墨をしたものは職員に採用しません」と規約を作ればよいだけ。
「ファッションは自由。差別だ」とこの方針に目くじら立てる話じゃありません。
「大阪市の職員になりたけりゃ入れ墨はするな!」でいいじゃないですか?

 

 



幸せ

≪BY ニドウ)

幸せってなんでしょうか?

昔、何かの本で、日本の巨大新興宗教の会長さんが「幸せとなにか。簡単にいえば”欲望の充足だ”」と言っているのを見た事があります。まあ「現世利益」を売り物にしている宗教だけあって「解りやすい!」
ここだけ切り取って言えば「共産主義者と何にも変わらないです。

お釈迦様は「幸せとは苦の消滅」だと言いました。
八つの苦が(四苦八苦)人生の根本原理である。「苦を知りその生じる原因を知り、苦を滅する方法を知り、苦を滅する方法を実践する」ことで幸せ(涅槃寂静)になる。

仏教以外の宗教の信者から見ると「仏教は宗教ではなくて哲学だろう」と感じる人が多いようです。

確かに理路整然、其々に必要な知識、考え方を具体的に書かれています。科学的といってよいくらいで「哲学」という評価は正しいと思います。

ここ最近(といっても結構前1980年頃からですが)ニューエイジ運動としてアメリカで生まれた思想があります。
それは現代の実証科学的手法を用いた、退行催眠による前生記憶や臨死体験の記録を既定事実としてとらえ、社会活動における成功法で用いられる思考法(ポジティブシンキング・願望達成法など)に、東洋の宗教的瞑想実践法から得た神秘体験をミックスした、新しい思想(宗教)活動です。

大変魅力的な思想で、数多くのスピリチュアルマスターが感動的な著書を数多く出版され世界的なベストセラーが生まれています。

しかしこれらの本を読むと、本当に驚くほど仏教に近いのです。
もっといえば、「仏教の解りやすい解説書」といってもよいくらいです。

なぜこんなことになったのかというと、これは本来世界の仏教界をリードしてしかるべき立場の「日本仏教界」が人材不足により、難解な(精緻すぎる)仏教を解りやすく解説する努力を怠った権威主義に陥っているからしょう。
おかげで仏教など「葬式仏教」と呼ばれるくらい日常と乖離してしまいました。

日本でもニューエイジ活動家でスピリチュアルマスターと呼ばれる人がここ最近多くあらわれていますので、仏教界からも是非新しい日本人の指導者が現れて欲しいものです。
長い歴史を持つ仏教は、ニューエイジ思想を凌駕する、素晴らしく具体的な修行メソッッドを有しています。
日本は近いうちに、仏教だけでなくニューエイジ運動の聖地にもなるに違いありません。
(でも日本人は輸入物が好きですからね(笑)。私もですけど)

 

 



シャッター街をどうしよう

《BY 浜っこ》

ご多分にもれず我が故郷も個人商店の集まる商店街は閑古鳥が鳴いている。
平日の昼間なんて端から端まで歩いても買い物客には殆ど行き当たらない。
いつの間にか店が消えて、大半の店はシャッターが下り「貸し店舗」の張り紙。
タイル張りのカラー舗装した道とそれを覆うアーケードは一見立派だが、いずれ後を継ぐ者もなく朽ちていくのだろう。

なんて感傷的な事を行っていても始まらない。

提案を幾つか、
1)空き店舗で取り壊せるところは空き地にして全部緑地にする。
2)長い商店街を利用したイベントをする。 徒競走(古!)とか ソリ競争とか。
3)町を挙げて俳句愛好家を呼び名句を作ってくれたら飯を食わす。
4)お年を召されたかつてのスターを呼び集め自由に滞在してもらう。
5)素人による地元グルメの大食い競争。優勝者にはダイエット器具。いや豪華商品で敗者は自腹という手もある。

さてさて、だれか廃墟になってしまう前にやってみませんか?



小沢新党は「日本維新党」!?

≪BY KEI≫

冗談です。まだ決まってないし知りません。でもありそうでしょう?
橋下人気にあやかって各地に「維新の会」ができましたが、泣かず飛ばず。中には「与党応援団」みたいなものも多く、おかげでご先祖様が命をかけて国を守るために行った偉業「明治維新」がすっかり手あかのついた言葉になてしまった観があります。

すっかりダーティなイメージが付いてしまった小沢氏は、バッシングを受けている面も多いと思うのですが、それも「ご本人の不徳」と大きくとらえているかどうか。
「同和育ち」と強調して「同和の問題は全く解決していない」という橋下氏と息が合いそうですね。
同和問題が「不徳」というのじゃありません。でも「同和で育って差別を受けた」という橋下氏はいま押しも押されもせぬ大阪市長。誰もあなたを同和出身と差別していません。本当に同和出身かどうかなんて興味もありません。
一部マスコミは取り上げるかもしれませんが、そんなマスコミは「同和」はネタの一つとして取り上げているだけ。同和でなければ他のネタで中傷するでしょう。

誤解を受けるのを承知で言いますが、あなたにとって「同和」は結果的に人生を豊かにしてくれてるのじゃありませんか?やはり差別ですか?



誰のせい?エゴ?

≪BY ニドウ≫

様々な場面で不平・不満を持つ人たちがいる。
仕事がない。仕事がうまくいかない。人間関係がうまくいかない。恋人ができない。病気が治らない。人それぞれ千差万別の不満を身内に持つている。

その時、誰かの、人せいにしていないだろうか。
心の中で、「私に比べてあの人は恵まれている」「今の社会が悪いんだ」「あの人が私を理解してくれないから」「私は不運である」

「人のせい、社会のせい、運命のせい」にする。これが「自分を慰めるための思考」でありエゴと呼ばれるものです。
しかしエゴはそのように理由づけするけれど何も解決できない。エゴは「自分」を正当化することが役目だからです。注意しなければならないのはこの時の「自分」とはエゴ自身のことなのです。

そしてもっと大事なことは「現代人はこのエゴ(その思考)を自分であると勘違いしていることです」

もともとエゴは命・身体を守るための優秀な機能なのです。
様々な経験を通して「こうすればこの身体と心は安全で楽である」という無意識の知識を積み上げていく事ができるのです。
しかしその反面、生命・身体を守るということは危険を察知し回避することですから、基本的に「こうすれば危ない」という不安をベースにしたものになります。行き過ぎると常に不安を探しているということになります。エゴを自分と勘違いした現代人は、不安を抱えながら生きている状態なのです。

不安が解消されないエゴ(自己)を抱えている人は不満・苦悩・怒りを抱えつつ生きることになります。それに対し前向きに解決できる人はいいのですが、出来なかったり失敗を繰り返した人に、エゴは「君は悪くない〇〇が悪いんだよ」と慰めてくれるのです。が解決にはなりません。

こんな目にあうのは、「何か、あるいは誰かのせいだ」と考えている限りどうすることもできないのです。
「私の責任だ」と自覚した時はじめてそれを変えられるのです。つまり「エゴ」の考えから離れることができるのです。

エゴから離れると当たり前の解決方法が見えてきます。
「自分のしていることを変える方が、他者がしていることを変えるよりずっと簡単なのです。」



レバ刺し復活のカギは放射線

≪BY WEBdラジオ≫

レバ刺しが禁止された理由は「消毒方法がない」という理由だった。ところがどっこいこんな方法があり世界中ですでに利用されている。

【産経オピニオンより抜粋】

梅雨入りで食中毒が心配な季節に入ったが、実は、生ものであっても加熱処理することなく食品の内部まで均一に細菌や寄生虫を殺せる方法がある。「放射線照射」といって適量の放射線を当てて消毒するやり方だ。(中略)

7月から厚生労働省が飲食店での提供を禁止する牛の生レバー(肝臓)も、放射線の性質を上手に利用すれば、高齢者や幼児も安心して食べられるようになるという。

放射線の食品照射は、欧米など世界30の 国・地域では、香辛料、肉類、エビなど40品目ですでに実施されている。温度上昇がないので食品の味や風味が損なわれないからだ。15年前には米国の食品 医薬品局(FDA)が、O157対策としてコバルト60のガンマ線を牛や豚の食肉に照射して殺菌することを認可している。

日本でも6年前に原子力委員会の専門部会が食品への有効性に着目した報告書をまとめている。しかし、現実は食品衛生法で食品への放射線照射自体が禁止されている。昭和47年にジャガイモへの照射が認められ、ごく一部で発芽抑制に利用されているだけだ。

世界が有効性と安全性を認めているのに、日本がその使用を法律で禁止しているのはおかしい
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海外で有効な新薬が許可されても、日本国内で使用できるまでに何年もかける厚生労働省の怠慢ぶりはここでも同じでしたね。
レバ刺し食べたかったらみんなでネットで呟いて世論にしてゆくしかないのかな。



因業オヤジの不動産屋

《浜っ子》

特殊車両を持っていたので、友人に頼まれて腰を痛め動けない彼の奥さんを病院に連れて行こうとした時の話。
車のすれ違えない狭い道で、奥さんを車に乗せるまで少しの間ハス向かいの家の駐車場があいていたので、車を半分ほど乗り上げて止め迎えに行こうとした時後ろから「こら!人の家に止めるな」と60代くらいの男性。訳を話しても知ったこっちゃないという風に「どけろ」一点張り。

しかたなく狭い道に止め何とか病院に連れて行きはしたものの、あの男の因業オヤジ振りには後味の悪いおもいをした。

聞くと不動産屋を営んでいる男性で、その不動産屋の店舗の隣でレストランを営業していた友人も、我が物顔に店舗周辺を自分の物のように振る舞い「自転車を止めるな、物を置くな」 。その近所に住む別の友人も似たようなことでトラブルになり「あれは人間がボロやなあ」。店舗を借りようとした居酒屋の女将も「あそこの不動産屋は私らのような水商売は人間扱いせんよ」と、まことに評判の悪い人物。

そんな不動産屋が、なぜjか高齢化で売り家や空き地の増えた街中の物件の殆どに、べたべたと看板を立てや張り紙をしている。

何であんな不動産屋に頼むのか不思議でしょうがない。
「絶対あの不動産屋だけは使わないぞ」と思ってたら、気がつけばウチの隣の空き地にそのN不動産屋が駐車場管理者として看板を立てている。

どうかこの駐車場を借りる人がいませんように!



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