悔しい、本当に悔しい。
亡くなった福島原発・吉田所長の名誉を踏みにじる朝日新聞に日本人の心はない!
またも朝日新聞の捏造記事により、新たな日本人を侮蔑する記事が海外で相次いだ。
5月の話であるが、福島原発事故の過酷な状況の中で、命がけの陣頭指揮を執り続けた吉田所長をはじめ多くの人々を、一方的に「命令も聞かず逃げ出した」という朝日新聞社の記事が出た。
それまで、現場に残って必死に対応する職員を称賛して『フクシマ・フィフティーズ(福島の50人)』と呼んでいた海外メディアが、
「事故に対して自らを犠牲にし果敢に闘った『フクシマ・フィフティーズ』として有名になったが、全く異なる恥ずべき物語が明らかになった」と批判記事を掲げた。
韓国のセヲウル号事件でおきた、「責任者の恥ずべき行為」を彷彿とさせる非難記事を書いた朝日新聞の意図は、日本人を貶めようとする悪意に満ちている。
事故調査委員会で行われた事情聴取で、「吉田所長が発した命令を守らず全員が第2発電所まで逃げ出した」というのが朝日新聞の言い分である。
ひどいものである。彼らの心の中をのぞいてみたいものである。
「過酷な原発事故で、閉じ込められたような状況で、連絡も正確に伝わらない」
こんな状況など全くお構いなしに朝日新聞は「逃げ出した」と根拠もなく一方的に決めつける。
「伝達ミスで職員の避難場所が間違った場所になった。だが結果的にはその場所の方が良かったのではないか」
これが調書での吉田発言の趣旨である。
撤退や逃げるなどというニュアンスなど吉田所長にも他の職員にもみじんもない。
「所長命令に違反 原発撤退」
これが問題の日の、朝日新聞の記事の大見出しである。この記事を書いた人間の顔を見たい。
そして、多少長くなるが、これが調書での吉田所長の発言と現場の人々の状況である。
産経新聞ニュースから拝借しました。
///_17日に判明した政府事故調の「吉田調書」。その文面から、東京電力福島第1原発にいた所員らの9割が10キロ南の福島第2原発に一時退避したことを、吉田昌郎所長(当時、25年7月9日死去)が「正しかった」と認識していたことが分かる。
朝日新聞は5月20日付朝刊で、吉田調書に基づき「所員らは吉田氏の待機命令に違反し、第2原発へ撤退」と報じたが、第1原発の複数の元所員は産経新聞の取材に「命令違反ではない」と明言する。吉田調書と関係者の証言から経緯を追った。(原子力取材班)
第1原発所員の第2原発へ退避したのは、東日本大震災4日後の平成23年3月15日午前7時ごろ。第1は最大の危機を迎えていた。
前日の14日夜には、第1原発2号機への注水に使っていた消防車が燃料切れで動かなくなったことで、原子炉格納容器が壊れ、多数の所員に危害が生じることが懸念された。
テレビ会議映像では、当時東電本店(東京都千代田区)にいた幹部が14日午後8時16分ごろ、「1F(福島第1)にいる人たちみんな2F(福島第2)に避難するんですよね」と発言。緊急時対策室を第2へ移す検討を始めていたことが分かっている。
15日午前5時半ごろには、菅直人首相(当時)が東電本店を訪れ、「撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」と絶叫した。このとき、テレビ会議映像を見た元所員は「誰が逃げるものか」と反発を覚えたと振り返る。
午前6時14分ごろ、2号機の方向から爆発のような音が聞こえ、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったという報告が入った。格納容器破壊の懸念が現実味を帯び、複数の元所員によると、吉田氏は「各班は最少人数を残して退避」と命じ、班長に残る人員を決めるように指示、約650人が第2原発へ退避した。
調書によると、吉田氏は「本当は2Fに行けと言っていないんですよ。福島第1の近辺で、所内にかかわらず線量の低いような所に1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが」と命令の行き違いがあったことを示唆している。朝日新聞は、吉田氏のこの発言などから「命令違反」と報じたとみられる。
しかし、調書で吉田氏は「考えてみればみんな全面マスクをしているわけです。(第1原発で)何時間も退避していたら死んでしまうよねとなって、2Fに行った方がはるかに正しいと思った」と、全面マスクを外して休息できる第2原発への退避が適切だったとの認識を示している。
菅氏らが「第1原発からの撤退」との疑心暗鬼にとらわれていたことを問われると、吉田氏は「現実として逃げていない」と否定した。
当時、現場にいた複数の元所員も産経新聞の取材に「命令違反」を否定した。40代の元所員は「第1原発では乾パンや水しかなく環境は日に日に悪化しており、第1のどこかに待機するというのはありえない」と語る。吉田氏の命令は第2への退避と受け止めたという。
別の中堅元所員も「第1原発にいた所員は、退避するなら第2へという共通認識があった。それが吉田氏の命令違反であるはずがない」と証言した。
当時、第1原発にとどまったのは吉田氏ら69人。15日昼ごろには第2に退避していた多数の人が戻った。
吉田氏と一緒に現場にとどまったベテランの元所員は「(第1に)残りたいという人ばかりだった。第2までの道は崖崩れの危険があったから、退避した人から『第2に無事に到着した』という連絡があったときには、第1に残った人は『ああよかった』とお互いに喜び合った」と語る。
別の東電関係者も「当時自家用車で第2へ退避した人も多く、逃げるのであればそのまま避難所にいる家族のもとに行っているはずだ。しかし、彼らは第1へ戻ってきた」と話した。_///
朝日新聞よ!なぜこれで、
「所長命令に違反 原発撤退」
となるのだ?答えよ!朝日新聞社!
日本国民は、朝日新聞に、この言葉と記事の削除と謝罪を要求する!朝日新聞は、全世界に向かって、この言葉と記事を削除し謝罪せよ!
ほっておいてはいけない。
日本人一人一人が、朝日の反日捏造体質を世界中に発信しよう